ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
挿話その十三「届いた知らせ」




「間もなくセルフィーユ領空!」
 諸国会議の為に編成されたアルビオンの小艦隊は、旗艦である二等戦列艦『ヴィジラント』を中心に四隻が角錐の陣形をとり、まっすぐトリステインを抜けて無事目的地セルフィーユに入った。
 リシャール王は、まだロマリアとリュティスの途上にあるだろうか。
 途中、艦隊は航過したがアルトワとラ・ヴァリエールには竜騎士が差し向けられ、セルフィーユ国王とトリステイン王太女から預かった親書を届けている。逆にウェールズからトリスタニアの大使館に向けて出された命令書は、アンリエッタのトリステイン艦隊が預かっていった。
「船足を落とせ。
 僚艦に信号。艦隊は予定通り、あちらさんの指示があるまで街の手前で待機だ」
「アイサー」
 たまたまだが、一昨年ウェールズに従って『アンフィオン』号でセルフィーユを訪問したことのある士官が含まれていたのは幸いだった。彼の水先案内で、舳先は迷うことなく目的地を向いている。
「竜を出せ」
 使者に出る竜騎士を見送りながら、ウェールズは指揮所からセルフィーユを見下ろしていた。あの頃よりセルフィーユの領地は山一つ向こうまで広がっていたから、まだ街も城も見えない。
「簡易桟橋は確か街の海港の倉庫街で、対面式に二隻までは係留出来たかと思います」
「そのあたりは艦長に任せるさ。
 ……さて、私も上陸の準備をしよう」
 ウェールズは報告書からセルフィーユに新空港があることを知っていたが、あの時の桟橋を拡張した程度だろうと思っていた。

「……これはまた、立派な桟橋だね」
「はあ……」
 二時間後、ウェールズを驚かせたことに、真新しい空港は戦列艦を含む四隻の艦隊を全て飲み込んで見せた。ロサイスなどとは比ぶるべくもないほど規模も小さく閑散としているが、数ヶ月前まで地方の一伯爵領であったことを考えれば破格である。
 渡り板で上陸した先には、敬礼を捧げる老士官数名に以前紹介された筆頭家臣の女性と文官がやはり数名、そして先日書記官から昇任したばかりの在セルフィーユ領事、オーブリー・メイトランドが並んで跪いていた。
「アルビオンのウェールズ・テューダーだ。
 セルフィーユ国王リシャール一世陛下より親書と言伝を託され、セルフィーユを訪問させていただいた。
 入国を許可されたい」
「リシャール一世陛下……?」
 流石に面食らった様子の彼らに、うむと頷く。トリスタニアの王政府には逐一連絡が通っていたとしても、アンリエッタと宰相が揃って会議に出ていたトリステインだ。彼女たちの王都帰還とこちらのセルフィーユ到着はほぼ同時、公表はされている頃だろうが、国の端ではウェールズが先触れとなることは予想されていた。
「諸国会議では、満場一致でセルフィーユ王国の建国とリシャール一世陛下の御即位が承認された。
 ……そのことも含めて、カトレア王妃陛下に至急お目通りさせて戴きたいのだ」
 桟橋は、静まり返った。

 至急につき歓待出迎え不用と早馬を先に出し、急遽かき集められた荷馬車にまで分乗して、ウェールズ一行はセルフィーユの城に入った。
 領主……いや、国王不在でも統制はしっかりと取れているのだろう、人の不足物の不足はそこかしこに見え隠れしているが、それ以外は大したものだ。軍になぞらえるならば、補給は不十分ながら士気が高い状態とでも言えようか。
「お久しゅうございます、ウェールズ殿下」
「カトレア王妃陛下もお元気そうで。
 マリー姫、ごきげんよう」
「はいっ!」
 希望した通りの時間を優先した対応に満足しつつ、ウェールズは奥まった応接室に案内された。茶器が配され、既に人払いもされている。
 マリー・ブランシュ姫はカトレアに抱かれて同席していたが、二歳にも成らぬ幼児でも、王族たる彼女はこの場にいる権利があった。
「早速ですが、一つがリシャール陛下よりの親書、もう一つがアンリエッタ殿下よりの親書でございます。
 こちらの書類鞄は、国内向けのご指示だとお聞きしています」
「親書はこの場でお開けしても?」
「はい」
 二通の親書を開けて順に読み終えたカトレアは、少しだけ目をつむって大きく息をついた。
 裏向きの事情は、一切書かれていないはずだ。そのようなことを文章で残すほど、外交とは甘い物ではなかった。
「かあさま?」
「マリー。お父様ね、王様になられたんですって」
「……おうさま?」
 きょとんと首を傾げる姫に僅かな悲しみを感じつつ、ウェールズはカトレアに目を向けた。動揺の色は見られない。……新しく王妃となった彼女が、トリステインでも名門中の名門ラ・ヴァリエール家の次女であったことを、ウェールズは今更ながらに思い出した。
「ウェールズ殿下、夫は他に何か申しておりましたでしょうか?」
「はい。
 ……面倒をかけてごめん、と」
 しばらくしてくすりと笑ったカトレアは、ありがとうございますとだけ口にした。
「王妃陛下」
「はい?」
「知りうる限りをお話ししたいところですが、私にも、知っていながら口を噤まねばならぬこともございます。
 ……何卒、ご理解いただきたい」
「殿下のお心遣いに感謝いたしますわ」
 即位の経緯も新教徒の件もガリア王弟家のことも……あれら裏事情を家族にまで話すかはリシャールが判断を下すべき事で、ウェールズが差し出口を叩くべきではなかった。
 続いて公表が確実であろうと思われる内容を幾つか披露し、質問に答えて行く。表向きだけでも問題は山積みだ。
 粗方の話が終わるとカトレアはウェールズを労い、食事でもいかがですかと話題を締めくくった。

 夕食では夏休みで長逗留している客人だと二人の女学生を紹介され、ウェールズも少し息を抜いた。少し前までは他にも数人いたのだが、実家に帰ってしまったという。
 賑やかな赤髪の少女はゲルマニアの名門ツェルプストー家の令嬢、タバサと名乗った無口な青髪の少女は恐らく偽名……一瞬、彼の王を思い出すが、そこまでの偶然は無かろうと青髭の偉丈夫を脳裏から追い出す。
「ええっと、この場合は、流石カトレアの旦那様ね……でいいのかしら?」
「……やっぱり王様だった」
 二人はリシャールの国王即位を聞いて、やはり驚いていたようだった。二人ともトリステイン魔法学院の生徒で一年生、夏期休暇いっぱいまでこちらに滞在するそうだ。
「ごめんなさいね、二人とも。明日からはちょっと忙しくなるかしら?」
「いいわよ、あたしとタバサは大人しくマリーと遊んでいるわ」
 なるほど、彼女たちはリシャールの友人ではなく、カトレア妃の友人なのだなと、ウェールズは香味酒をあおった。
 指示書きの入った書類鞄も庁舎の方に運び去られてウェールズの仕事は終わったのだが、艦隊の方も上陸の許可を出していたから、今夜はセルフィーユで一泊となる。
「ウェールズ殿下、リシャールは……っと、ごめんあそばせ、リシャール陛下は、いつ頃お帰りになられるのでしょうか」
「今頃はガリアを出て、ロマリアをご訪問されているだろうから……ご帰国は一週間ほど後になるだろうか」
「ロマリア!?」
「急ぎ教皇聖下にご挨拶をせねばと、フネを飛ばして向かわれたのだ」
 慎重に話題と表現を選びながら、ウェールズは彼女たちにリシャールの様子を披露した。
「陛下の即位戴冠式は、諸侯会議の議場となっていたガリアの王城で行われたのだが……ガリアのジョゼフ陛下、ゲルマニアのアルブレヒト閣下、そしてトリステインのアンリエッタ姫にアルビオンの私と、四国の代表は揃っていたけれど、ロマリアは慣習に従って教皇代理人を送ってきていた。
 諸国会議は俗世のことを話し合う会議だし作法通りだったが、リシャール陛下にはご面倒なこととなってしまったね」
「まあ、そうでしたの」
「大丈夫よ、キュルケ。
 あの人が面倒事に行き当たるのは、今に始まったことではないわ」
「……それもそうね」
「いつも忙しい」
 彼女たちのリシャールに対する率直な評価を、何とも言えない微妙な気分で聞き流し、ウェールズは新しき友に幸多かれと心の中で聖印を切った。




 翌日、遠路を労って手配された酒食のおかげで、まるで戦勝祝いかと疑うほど艦内を酒臭くしたアルビオン艦隊を見送ったカトレアは、珍しく庁舎に足を運んでいた。
「すぐに戻るわ。
 マリー、いい子にしていてね?」
「はあい!」
「いってらっしゃいまし」
 馬車を待たせて城内第三席のメイドで水メイジのジェルメーヌにマリーを預け、カトレアは一人、庁舎内へと入っていった。
 街も賑やかだったが、こちらも賑やかだ。
「侯国になるんじゃなかったのかね?」
「いんや、今朝出た触書じゃあ領主様は王様にお成りあそばして、セルフィーユは王国になるんだそうだ」
「関所はどうなるのかねえ……」
「さあなあ……」
 受付で順番待ちをしている他領の商人が噂話をしている横を、カトレアは通り過ぎて奥へと入っていく。
 ウェールズは無事に自らに課した任務を終えたが、知らされた側のセルフィーユは当然ながら平穏ではいられなかった。
 既に市街は、王国建国と領主リシャールの即位を祝う喧騒に満ちていた。庁舎内はそれどころの話ではなく、書類と怒号が飛び交う戦場と化している。ウェールズの届けた書類鞄は混乱をもたらしたが、同時に新たな指示が与えられたことで、上司が不在でも組織は動けるようになった。
 カトレアは、そっと大部屋の端にいる『宰相』の元へと歩み寄った。正式な独立まではマルグリットが筆頭家臣であるが、彼女は執務室にてリシャールの別命でラ・クラルテ商会の再編に追われており、引継とも相まってやはり椅子に縛り付けられている。
「フレンツヒェン殿」
「カトレア様!?」
 跪こうとするフレンツヒェンを制して、カトレアは口を開いた。
「お忙しいとは思うのだけれど、一つだけ、内密にお話があります」
「はい、なんなりと」
 人払いはしていないが、声だけは潜める。
「もしも、陛下がお戻りになられる前に、庁舎内の予算でやりくりの出来ない出費が発生しそうなときは、わたしに直接ご相談いただきたいの」
「それは……」
「陛下はたぶん……存じておられながら知らないことになさっているのだと思いますが、結婚の時にラ・ヴァリエールから持ち込んだ持参金が一切手つかずでわたしの手元に残っておりますの」
「持参金、でありますか?」
「ええ、百万エキューほど」
「ひゃ……!? おほん、失礼」
 普段は厳めしいフレンツヒェンの声が、一瞬甲高く裏返った。百万エキューと言えば、昨年度の歳入三年分に匹敵する。
「ありがとうございます、カトレア様。
 ……しかしながら、その心配は王国の成立で不要となりました」
「あら?」
 今度はカトレアが目を丸くする番だった。
「領主様が……失礼、陛下が御即位されましたことで急遽必要となりそうな出費よりも、トリステインへと年末に支払う予定であった貢納金の積み立て分の方がまだ多うございまして、実は庁舎も含めてセルフィーユ家の経済状況は急転換で好転しましたのです」
「……差し出口でしたかしら?」
「……いえ、もしも侯国のままの建国でございましたら、このフレンツヒェン、カトレア様に平伏してお縋りしたかと愚考いたします。
 陛下の御即位は、セルフィーユにとって経済面でもこれ以上のない慶事となりました」
 わたしの旦那様は、つまづいてもどこかしらから何かを引っ張ってくるのねと、カトレアは小さく笑みを浮かべた。

「ただいま、マリー」
「かあさま!」
 馬車の中では、マリーがジェルメーヌの作り出した水の玉を追いかけていた。
「あら、水で遊んで貰っていたの?」
「みずたま!」
 カトレアが乗り込むと、馬車は城に向けてゆっくりと走り出した。
 ふわふわと漂う水の玉は、ジェルメーヌの杖にあわせてゆっくりと左右に動く。
「綺麗ね」
「はい、私も子供の頃は、母によく水の玉で遊んで貰いました」
「そうだったの……」
 カトレアには、母カリーヌと遊んだ記憶はほとんどない。
 病床で手を握られていたり、心配そうに顔をのぞき込まれていた覚えは沢山あるのだが……。
 セルフィーユが落ち着くのはいつになるかわからないけれど、また母様たちと遊びに行きたいわねと、カトレアは窓の外に視線を向けた。
 馬車は丁度、新市街と街道の接点に差し掛かっていた。停留所や新しい商店、すこし戻れば露天市場もあって、このあたりはラマディエでも一番人通りが多い。二番目は旧市街の庁舎周辺である。
 ……あの角には出店があって、アルビオンの焼き菓子をみんなで食べたわね。
 街角を眺めながら、感謝祭の一日を思い出す。
 キュルケは学院があるけれど、母様は来年も来て下さるかしら。
 あの時はマリーが仲裁して、わたしが宥めて、口を尖らせながら焼き菓子を摘む母とキュルケはすぐに口げんかを再開して……もしかすると、魔法学園でもルイズと同じ事になるのかしらと、想像を働かせた。キュルケはルイズよりお姉さんだけど、あれで寂しがり屋のところもあるし、小さなルイズも内に篭もるよりは、正面からぶつかることを許してくれる相手がいる幸せに気付いてくれるといいわね。
 そう思いながらキュルケを学院に送り出し、時々届く二人からの手紙を楽しみにしていたのだが、夏休みに揃った二人は想像通り、始終口げんかを繰り広げてカトレアを喜ばせてくれた。
「かあさま、りゅう!」
「あら。
 ……竜騎士ね」
 マリーの指差した先には、高速で飛ぶ竜が一頭見えている。方向からして、トリステインの竜騎士だろう。城に向かっている。馬車を急がせても、今からでは到着に間に合わないだろう。
「アンリエッタ様のお手紙を運んできたのかしら?」
 ウェールズ皇太子がわざわざ帰国の途上に寄ってくれたぐらいなのだ、アンリエッタ王太女から連絡が来ないはずがない。
 リシャールには早く戻って欲しいけれど、少しはのんびりさせてあげられないかしらと、カトレアは小さくなっていく竜を見送った。







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