ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第二十八話「虚と実の向こう」




 午後は仕事にならなくなったので視察は中止して、リシャールはレイナールとタバサを連れて城へと戻った。発表はされていてもこちらには正式な通達が来ていないので、領主が公の場で独立について言及するわけにも行かず、余り騒ぎを大きくせぬようにとだけ伝えて後は官吏達に任せている。
 今後は領地の動揺をいかに抑えるかが勝負だったし、宙ぶらりが長く続いているおかげでリシャール自身も不安は未だ拭えていない。身動きがとれないのは今に始まったことではないが、元より今回は極めつけの予定である。
 幸い、出奔の希望が発表されて後追いで独立の話が出るのではなく、同時の発表となっていたから多少は苦労が減るだろう。
「リシャールは王様になるの?」
「王様、じゃないなあ。
 忠誠は変わらずトリステイン王家に捧げたままだし、侯国の主だから国主を名乗ると思う」
「独立って……リシャールは何考えてるんだ!?
 宰相になるんじゃなかったのかい?」
「僕はずっと不相応だと思ってたけど……。
 みんな集まったら、まとめて話すよ」
「きゅい?」
「大丈夫だよ、アーシャ」
 その場は軽く流しておいて、王宮ではどのぐらい話が固まったかなと、西南に視線を向ける。
 勅使を寄越してくれとは言わないが、なんとか早めに連絡が欲しいところであった。

 軍の訓練に参加していたギーシュとマリコルヌは、城へと戻るなり応接室に引っ張り込まれた。馬車で送迎されていた彼らにしてみれば、本当になんのことだかわからないだろう。
「ちょ、ちょっとどうしたんだい、モンモランシー!?」
「あなたたちの帰りが遅いから、待ちぼうけになってるのよ!」
「何があったんだ?
 訓練航海の方はいつも通りだったけど……」
「マリコルヌ、あんたも黙って座んなさい」
 全員が戻ってから話すとリシャールは譲らなかったし、カトレアも旦那様にお任せと沈黙を守っていた。マリーは何処で覚えたのか両手で自分の口を塞ぎ、一人楽しそうである。市中で話を聞いたクロードがその中身をいくつか披露していたが、もちろんそれで収まるはずもない。
「リシャール、市場でもその話一色だったんだ。
 僕はとても慌てたよ!」
「これで全員揃ったし、さあ、聞かせて貰うわよ」
「待ちくたびれたよ、リシャール」
 リシャールは夕食後の方がいいんだけどなあと心の中で呟いてから、咳払いを一つして腕を組んだ。これから皆に話す内容は嘘八百より多少はましな『表向きの真実』であっても、果たして学生の彼らにはどのあたりまで深く話したものかと思案する。
「……ともかく、最初から話をしようか。
 去年僕は伯爵になったんだけど、その絡みもあって仕官するように求められたんだよ。
 これは祖父や義父……ああ、カトレアやルイズのお父上ラ・ヴァリエール公爵の勧めもあって、王宮で空いた席を探して貰ってね。
 本当はもう少し領地が落ち着いてからの方が良かったんだけど、そういう雰囲気でもなかったんで、とりあえず非常勤の役職から見聞役というお仕事を拝領したんだ」
 その時点で既に貴族院からの横槍が入っていたのだが、そこまでは話せない。
「見聞役って、どんなお仕事なの?」
「聞いたことないな……」
 絶えて久しい役職だし、不思議そうな彼らの顔も当然だった。ついでに言えば、時に王宮の役職は、名と実が乖離していることも多い。例えば見聞役などいい例である。
「市井の様子を面白おかしく奏上して国王陛下の無聊をお慰めする、まあ、道化師みたいなお役目だよ。
 あー、簡単に言うとね、数ヶ月に一回王宮に出仕して、テラスでお茶を飲みながらアンリエッタ様とお話しするのがお仕事」
「そんな仕事、あるんだ……」
「う、羨まし、いいいいたたたた!」
 ギーシュが手の甲をつねられているが、そこは見なかったことにする。
「……のはずだったんだけどね」
「違うんだ?」
 クロードが微妙な表情で尋ねた。皆も似たような顔をしている。
「うん、違った。
 初回はアンリエッタ様の両隣に、マザリーニ枢機卿猊下とアラス男爵が座っていらしたよ」
「マザリーニ宰相は知ってるけど、アラス男爵って?」
「僕も知らないな」
「アラス男爵アンリ・コワフィエ・ド・デムリ殿。この方は、王政府の財務卿閣下だ。
 ……つまり、場所もテラスでアンリエッタ様ももちろん聞いていらっしゃったし、市井の様子を報告することに変わりはなかったんだけど、セルフィーユの現状の報告を通じて、僕の領政が王政府の施策の参考になるか否かが問われていたわけなんだよ。
 いやあ、まいったね」
「まいったね、じゃないでしょ、リシャール……」
 ルイズは呆れているが、もうこの一年で随分と王宮に慣らされてしまったリシャールである。
「で、僕がそういった奏上をしているという話が、いつの間にか王宮内でも知られるようになっていた。
 それがマザリーニ猊下の不人気と結びついて、驚くべき早さで次期宰相にという噂が立ってしまったんだ」
 最初に煽ったのは義父らだが、そこにお飾りの宰相を作る機会と踏んだ貴族院の一派が相乗りし、社交界のみならず市中の世論までが沸騰してしまった。
「それで、まあ、流石に知らない振りをするわけにもいかなくなって、お断り申し上げていたんだけど……どうにも抜き差しならない状態になってね。
 義父やマザリーニ猊下にもなんとか噂を鎮めたいとお願いしたんだけど、貴族院や王政府からもその話が出てきだした」
「丁度あたしが家出してた頃かしら?」
 そうだよとキュルケに頷き、皆には噂が大きくなりすぎて、丁度領地に留め置きになっていたと付け加える。
「その後ぐらいに、また別の話が出てきた。
 今度は見聞役の功を賞して、陞爵ということになってね……」
 ここからは、正に大嘘の大行進である。
 まじめに聞いている彼らには大変申し訳ないが、こちらも首が掛かっていた。再併合の話には繋げられる筈もない。
「でも、正直なところやはり宰相は荷が重すぎるし、だからと言って詫び一つで断るには騒ぎが大きくなりすぎていた。
 うちはまだ創家して三年と少しで、実際領地の切り盛りもまだ軌道に乗り始めたばかりだし、家臣任せにする段階じゃない。
 それが王都に入り浸りになってしまうと、領地が荒れるどころの話じゃなくて、本当に破産することは確実だったからね」
「なあ、リシャール……?」
「なんだい、レイナール?」
「……もしかしなくても、初代当主?」
「そうなるねえ」
 リシャールは、嘘だろと言いたげな表情のレイナールに頷いた。クロードやルイズは、そのあたりの内情までは話していなかったらしい。
「話を戻すよ。
 ……とまあ、諸侯の本分が果たせないまま宰相になるのも拙いし、本当に詫び一つってわけにもいかない状況だともわかってた。
 だから自分とセルフィーユ家の現状、そしてそのまま宰相になった場合の未来予想図をお話しして、その上で……爵位と領地を返上しますので出奔させて下さいと、アンリエッタ様にお願い申し上げたんだ」
「めちゃくちゃだ……」
「なったその日に爵位を返上って、普通は考えないよ!」
「領地は惜しくなかったのかい!?」
「そうだよ!
 領地の実入りだって今じゃアルトワより大きいって、父上が仰ってたのに……」
 クロードらは口々にリシャールを非難した。それをまあまあ落ち着いてと押さえつつ、呆れ顔の女性陣に肩をすくめてみせる。
「そんな簡単に返上って……」
「ちいねえさま、反対されなかったのですか?」
「そうよ、出世どころか家名と領地まで捨てるって、いくらリシャールでも……」
「……大胆」
 対してカトレアは、全容を知っているにしても落ち着いたものだ。マリーをあやしながらくすくすと笑っている。
「あら、うちの旦那様のすることだもの。
 ほんとうに爵位や領地がなくなっても、わたしたち二人ぐらいなんとかしてくれるわよ。
 ねえ、マリー?」
「あい!」
 口から砂糖が出てきそうな顔でルイズとキュルケがため息をつき、タバサはカトレアをじっと見つめていた。モンモランシーは、ギーシュとリシャールをちらちらと見比べている。
 実際に領地と爵位を失えば、ラ・ヴァリエールかアルトワあたりに引っ越して、家族とのんびり過ごしながら錬金鍛冶三昧といきたいところだった。しかし義父もその機会を見逃すはずはなかろうから、上手く切り抜けてもラ・ヴァリエールの跡継ぎがリシャールを待っている。クレメンテ司教ら新教徒を筆頭に、領地もそのままとはいくまい。下手を打てば……叛乱の首謀者一直線という悪夢さえ、完全には否定できなかった。
「実を言えば、その場でアンリエッタ様から、悪いようにはしないからとのお言葉を頂戴していたんだ。
 じゃなきゃ、流石に出奔宣言の翌日、魔法学院に寄るようなことは出来なかっただろうね。
 ……状況が悪化した場合でも、これがクロード達を呼べる最後の機会になるかもしれないから、って言い訳は用意してたよ」
「よくそれだけのことを黙っていられるね、君は」
「あなたは軽すぎるのよ、ギーシュ」
「全然気付かなかった……」
「リシャールは昔から、そういうところがあるよね。
 こうと決めたら、ほんとに何も言わないんだ」
 うんうんとクロードは頷いているが、彼と二人、街に遊びに行くときなどは従者だけでなく護衛も兼ねていたから、父や彼の両親とはクロードには聞かせられないようなやり取りも交わしていた。
「ただ、僕もまさかここまでのご厚情を頂戴するなんて、想像もしていなかったよ。
 悪いようにはしないと仰られていたから、爵位はそのままで領地だけを返上するとか、領内謹慎で死ぬまで一切の出世話が来ないとか……そのあたりかなと考えてたんだ。幾通りも下されそうな沙汰を考えて、家臣にも準備を命じていたぐらいだよ」
「でもリシャール、さっき庁舎で行政官に『予定通りに』って命じていただろう?
 ……独立まで予想していたのか?」
「あー、あれはそういうことじゃないよ、レイナール。
 極一部の家臣には、出奔のことも伝えていたからね。
 勅使殿が沙汰を伝えに来るか、セルフィーユについてなんらかの発表があったとき、翌日素早く村長や街の顔役を召集出来るようにって予め指示していたんだ」
 レイナールは鋭いところを突いてきたが、今更その程度で動じるようなことはない。
「でもね、知らせを聞いてからずっと考えていたんだけど、アンリエッタ様のお下しになられたこの決定は、ある意味最良に近いと僕には思えてきた。
 まず、一国の国主では、例外はあるけど……滅多なことで他国の家臣とはされない。これは宰相にはなりたくない僕の希望と合致しているし、お茶会への招待なり首脳会談なり理由を付ければ王宮に出向いても不自然じゃないから、数ヶ月に一度の献策や聴取はこれまで通りに行える。つまり、現状は維持されるわけだ。
 二つ目に、爵位や領地を取り上げたわけではないし、下された内容は名誉なことだから、反論は難しい。僕は希望した出奔も許されている上に、蔑ろにもされていないよね。……これ、僕だけじゃなくて、世論も反論しにくいんだ。ということで、噂は封じられる形になる。
 三つ目に、たぶん、形式的にはクルデンホルフみたいなことになるだろうと思うけど、内実はそれ以下、トリステインの一部のままなんじゃないかと想像できるんだ。これだと表看板が変わるだけだから、トリステインも国家として損はしない」
 少しだけ、彼らに考える時間を与えてみる。
 無論、リシャールもあり物の手札に嘘八百を合わせて話を組み立てているのであって、不確定な要素を全て排除しているからこそ、澱みのない『風が吹けば桶屋が儲かる』式の説明が出来ていた。
「セルフィーユ家はいま、トリステイン東北部の街道工事を取り仕切っていてね、これが完成するとこの田舎町は今より経済的に上を向く予定なんだ。
 もちろん、周辺の王領や諸侯領もそれに引っ張られるから、王政府がこの構造を潰すわけがないということを僕は確信している。
 キュルケの家も、今頃こっちに向けて、大型の荷馬車が対面通行できる幅広の街道を工事しているはずだよ」
「キュルケのうちが!?」
「そんな大事になってるんだ……」
 視線を受けたキュルケは、軽く頷いて見せた。
「うん。……クロードも知らなかったかな?
 街道工事は、なにもトリステイン国内だけの話じゃない。セルフィーユとツェルプストーも、一本道で結ばれる予定なんだ。トリステイン側の完成は、予定だと六年後ぐらいになるけど……。
 これはトリステイン王政府とゲルマニア帝国政府が承認済みの計画で、やめるとうちだけじゃなくて国の面子が潰れるから、どこも後に引けないようになってる」
 少し苦しい言い訳かも知れないが、彼らには十分だろう。内実はとても話せたものではない。
「ちょっとリシャール、どうしてラ・ヴァリエールとは道を引かないのよ!?」
 対抗意識もあるのだろうが、ルイズは不満げであった。確かにツェルプストーへと続く予定の街道から枝道を伸ばすという手もあるのだが、今のところは全く考えていない。
「道よりもっと便利な物があるから、お金がもったいないよ」
「えっ!?」
「なんだろう……フネ?」
「そう言えば、空港もあったわね」
 ルイズたちは気付かなかったようだが、クロードはぽんと手を叩いた。彼は一度、それを利用している。
「ラ・ヴァリエールからは川船で一日下ればリール、そこからはリシャールの作っている街道があるし、重い物はそれこそ川伝い海伝いで運べるから、ラ・ヴァリエールにつながる道はあるのと同じ……でいいのかい?」
「うん、正解。
 ただ、経済的な結びつきで見るとラ・ヴァリエールはその周辺だけで十分まわるほど巨大で、内陸では良い商品になる海産物はリール主体でこちらは食い込みにくい。無理に繋げようとすると間違いなく大損するから、手を着けていないだけなんだよ。
 それに街道の一番の意味は、中小規模の商会が馬車を使って楽に行き来できることなんだ。彼らは小回りが利くし、扱う商品の種類も多種多様だ。そこが狙い目でね。
 大きい商会なら一度の取引も大きいから、それこそフネを直接飛ばしても採算がとれるような取引をまとめることが出来るけど、まだセルフィーユはそこまで育っていないから、中小の商人が利用しやすい定期船と馬車には、今後もずっと頑張って貰わなきゃいけない。
 ……アルビオンとの航路はあるけど、僕の見るところ今はまだ戦時需要だけで回っているはずだし、うちが出してる王都行きの定期船は数字だけ見ると完全に赤字だよ」
 リシャールはやれやれと肩をすくめてから、話を飲み込めているようないないような皆を見回して、取り敢えず難しい話はここまで、食事にしようと提案した。

 明けて翌日は、流石にレイナールとタバサには遠慮して貰い、早朝、巡回馬車でやってきた村長衆にラマディエの顔役リュカら領民の代表、クレメンテ司教、フロラン工場長、侯爵家衛兵隊長ジャン・マルク、領軍司令官レジス、領空海軍司令官ラ・ラメーに庁舎からマルグリットら数人を加え、会議室にて今後のセルフィーユについて話し合った。
 まずは昨日、ギーシュらの前で話したような表向きの話を行い、皆を安心させる。もちろん再併合の話など、その場で義父の言葉を聞いていたラ・ラメーの他には、マルグリット、クレメンテ司教ら極少数にしか話をしていない。
 続いて諸侯領から独立国になって変わる部分や、これまで通りと予想がつく点について並べ立てた。
 例えば、ラ・ラメーなどはリシャールと同じく『トリステイン貴族』であり、セルフィーユ領空海軍の俸給とは別に法衣貴族として貴族年金をトリステイン王政府より受け取っているし、有事に軍役を負担して忠誠を誓う相手はトリステイン王家である。まだそのような規定の細部までは確認できていないが、もしもリシャールにつき合って出奔させられることになったら、こちらで年金を支給すると約束していた。貴族士官全員を合わせれば年額数千エキューにもなるが、今のセルフィーユならなんとか捻出できるだろう。
「私自身はあちこち引っぱり回されるかも知れませんが、領内については実質何も変わらない予定です。
 陞爵式の折、アンリエッタ王太女殿下、宰相マザリーニ猊下より内諾を頂戴していますし、義父ラ・ヴァリエール公爵閣下も了承されています」
「領主様、よろしいですかな?」
「はい、クレメンテ殿?」
 クレメンテが軽く手を上げ、皆を見回した。ふむ、と一人得心する彼に、リシャールは一つ頷いて続きを促した。
「政治のお話は私どもにはよくわからぬこともありますが……国が認め、領主様がそれに従われるのなら、そのお話はそこでおしまい、とされても良いのでは?
 領内は何も変わらぬと仰った領主様のお言葉が、皆には何よりも重要なのです。
 無論、正式なお使者がこちらに来られるか、領主様が王宮にお呼ばれになってからのことになりましょうが、領主様が変わらずこの地の領主様であられる限り、皆それを受け入れましょう」
「領主様、わしらはまた王領などに戻りたくはありません」
「その通り!」
「あげな暮らしはもういやですじゃ……」
「これまで通り、この地の領主様でいて下さるならそれだけでええのです」
 予めクレメンテが皆を押さえてくれていたのかもしれないが、自分が領主をクビになって代官などがまた派遣されて来れば、それこそ新教徒抜きでも叛乱が起きかねない勢いだなと、リシャールは複雑な気持ちで村長らの言葉を受け止めた。
「では、通達か勅書で正式な承認が伝わるまではこれまで通り、それ以降は……ああ、庁舎はもちろん独立国に必要な部分を付け足して侯国政府に改組しますが、村の方は手紙の宛所が変わるぐらいでこれまで通りの予定、ということでよろしいですか?」
 全員が了承の言葉を口にした。
 意外とあっけない会議となったが、フレンツヒェンなどに言わせれば、中身も大事だが、直接相手と顔を会わせて伝えることがとても重要なのだ、ということらしい。生活が変わらぬと口にした領主の言葉とその根拠には王太女殿下の名があり、それこそ異議を申し立てる理由が見あたらなかった。これでは領民の誰も口を挟めませぬと、彼は苦笑した。

 だが午後になって、リシャールを悩ませる新たな要素がセルフィーユへと届けられた。またしても手紙だが、差出人はキュルケの父親、ツェルプストー辺境伯である。
「トリスタニアよりツェルプストーの方が近いけど、そう言う問題じゃなさそうだな、これは……」
 陞爵の祝辞や娘を気遣う書き出しはともかく、後半がいただけない。いや、彼のお人はまったく悪気もないだろうし、関わっているとは思えなかったが、その内容は少々問題がある。
 ……どうしてトリスタニアから使者が来るよりも早く、ゲルマニアの皇帝閣下がセルフィーユの独立を支持すると表明した、などという知らせがこちらに届くのだろう?
 もちろん、アンリエッタとマザリーニが示し合わせて先に他国と交渉を持っていたのなら、何等問題はない。予め両国で協議がなされ、発表の日取りを決めていたのだろうと納得できる。何を考えたところで待つしかないのだが、何かといらぬ想像力をかき立てられた。国家間の交渉は機密も絡むのでリシャールには知らされないと最初から決められていたし、貴族院議員のうち、誰に交渉が行われているのかも内密だ。旗色の鮮明な数人のみ、リシャールも名を教えられていた。
 しかし、予定の交渉の結果でないならば、かなり困ったことになるのだ。何せリシャールの元には、その知らせどころか未だ独立の承認すら連絡がない。
 王都でセルフィーユの独立が発表されたのは、商館発の伝書フクロウ便の到着から逆算して四日前であった。ダエグの曜日と略号で書いてあったから、間違いない。だがそうすると、今度はトリスタニアからゲルマニアの帝都ヴィンドボナ、そしてツェルプストー経由でセルフィーユへと繋ぐのに四日というのは、とてつもなく短い計算になる。風竜に乗った情報専用の竜使や幻獣使いが動いて連絡線を繋ぐなら、約一日の余裕が見込めるという程度だ。しかもその間には、皇帝の公式発言が挟まっていた。

 しばらくは朝に処理できなかった書類束を放り出して悩み込んでいたリシャールだが、夕方前、今度はトリスタニアより使者が到着した。前回と同じく正式な勅使モット伯爵であったから慌てて城に戻り、同様に大騒ぎをして勅書を授けられる。
 勅書には概ねこちらの想像通り、リシャールの爵位と領地を安堵し、独立国の建国を許可すると記されていた。これでようやくセルフィーユが独立に向けて動くための大義名分が手に入ったから、今朝のように曖昧な報告と指針で済ませることなく明確な指示を出せる。
 しかしこれも、一筋縄では行かないようだった。
 本来ならば勅書から抜け落ちているはずのない正式な独立の日取りは勅使にさえも伝えられておらず、更には、彼はこれからヴィンドボナの在ゲルマニア大使館に足を伸ばして大使に口頭で指示を伝えた後、今度は急使と役目を変えて皇帝を含むゲルマニアの帝国政府の要人らに親書を手渡すらしい。今からだと明日の夕刻には着けますなと、モット勅使はため息をついていた。
「いやあ、勅使なんて初めて見たよ」
「歴史の証人だね、ぼくたちは!」
 当初こそ独立と聞いて騒いでいた客人たちだが、今はのんきに盛り上がっている。
 だがリシャールはもやもやとした不安を内に抱えながら、マリーを膝に乗せて考え込んでいた。




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