ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第三十四話「シャルロット」




「こちらが治療薬でございます」
「……確かにお受け取りいたしました」
 文官から恭しく差し出された銀盆の上には、小瓶が一つ。
 これ一つが、ガリア王弟家とリシャールの今後を決めてしまう。リシャールは薬瓶を手にして荒くなりかけた呼吸を、心で押さえ込んだ。
「ジョゼフ陛下は何か……仰られていましたか?」
「陛下は現在、サン・マロンの視察に出ておられます」
 サン・マロンはガリア両用艦隊の母港で、アルビオンのロサイスやトリステインのラ・ロシェールと並ぶ軍港である。
「……では、戻られましたら、長逗留の上に挨拶もなく帰国する無礼をお許し下さいと、お伝え願えますか?」
「畏まりました」
 文官は更に、こちらも陛下からお預かりしたものですと、王妃や姫君の身に着けるティアラ様の宝冠や、反物、宝石などを置いて帰った。格好だけでも飾りたまえと、気を使われたらしい。
 それにしても……。
 ガリア王の中では、セルフィーユのことも王弟家のことも、既に終わったことなのだろうか?
 礼と共に今夕の帰国を告げると、文官はやはり静かに首肯して退出していった。
 手の中の小瓶を、じっくりと眺める。
 ジョゼフ王を信じる信じないで言えば、リシャールには半信半疑としか言いようがない。しかしながら、万が一渡されたのが毒薬であったとしても、行使を躊躇う事さえ出来なかった。ガリア王を疑えば、そのまま叛意ありと見なされても文句を言えない。
 しかし、それほど分の悪い賭でもないだろうとも思える。
 リシャールとセルフィーユに王弟家を害した殺人犯を押しつける手間をかけるぐらいなら、最初から叛乱者の妻子として連座させてもまったく問題がないはずなのだ。
 ジョゼフ王が新教徒に絡んでセルフィーユを潰したいのだとしても、王国にする必要はなかった。それこそゲルマニアを焚き付けて、文字通り潰させても結果に変わりはない。侯国の方が手を出させやすいだろう。
 逆にロマリアへの牽制を狙って、セルフィーユと新教徒に力を付けさせたいのだとすれば、王国にしたことは理解できてもわざわざ王弟家をセルフィーユにつける必要は考えにくい。王国となった時点で、ゲルマニアへの牽制は十分すぎた。
 もしかすると、新教徒のように旧王弟派がガリアを離れてセルフィーユへと集まってくるのかも知れないが、思想的な接点がほぼない新教徒とガリア王弟派では共闘のしようもない。王弟家を慕って仕官しにきたならばともかく、勘違いをした馬鹿者が気炎を吐いて決起したとて、こちらの誰が着いていくはずもなかった。
 だがジョゼフ王とガリアはセルフィーユを王国とし、廃家されていた王弟家を復旧してまで押しつけてきた。一体何がしたいのか、時間が経つほど狙いが分かり難くなってくる。
 教皇ヴィットーリオの方が、意図が新教徒一本に絞り込めるだけまだ話が分かりやすいのかもしれないと、リシャールは小瓶を手に頭を抱えた。

「長かったのか、短かったのか……」
 観光もできなかったリュティスを後目にリシャールは『ドラゴン・デュ・テーレ』に乗り込み、旧オルレアン大公領へと進路を取らせた。
 到着までは二日と半日、ロマリア行きと同じく復路トリステインを目指す方が長くなる。
「ちょっと空に上がってきます。
 ……鹿か何か見つけたら降りるかも知れませんが」
「これだけ深い森なら、お咎めもないでしょうな。
 お供しましょうか?」
「大丈夫ですよ、エルバート殿。
 フネから見える距離で飛ぶつもりですし、少し、考え事をまとめたいのです」
 アーシャに跨ると、ぽんと首筋を叩く。
「きゅい!」
「うん、行って」
 ばさりと翼を広げると、アーシャは僅かに傾いて艦の右舷に落ちた。
 そのまま風を捕まえ、今度は力強く『ドラゴン・デュ・テーレ』の右前方に躍り出る。
「ねえ、リシャール」
「なにかな、アーシャ?」
 三百メイルと少し距離を開けたところで、アーシャがちらりとこちらを見た。
「王様になるの?」
「うん」
「王様になりたかったの?」
「……ぜんぜんなりたくなかったよ」
「ふーん……」
 彼女には人間世界の地位や名誉やそれに伴う苦悩など、関係はない。リュティスでの待機なども、リシャールの為に我慢してくれていたのだろうが、主人としては失格だ。
「そうだアーシャ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
「なに?」
 リシャールは懐にしまってある小瓶について、彼女の意見を聞いてみることにした。
 ……急に森へと消えた王の騎竜に『ドラゴン・デュ・テーレ』は少々慌てたが、しばらくして猪を携えて戻ってきた主従は、これはエルバートの騎竜の分、みんなの分をもう一頭狩ってくると、再び森へと降りていった。

 リュティスを出て三日目の昼、オルレアンまでは後少し。
 リシャールはエルバートと二人、それぞれ騎竜の機嫌を取った後、上甲板で雲を眺めていた。
「緩急あって、いいのやら悪いのやら」
「会議の前半は宿に篭もられていたと聞きましたぞ。
 ……訪ねることが禁止されていましたので、お伺いすることは叶いませんでしたが」
 諸国会議の議題に上がっている独立前の小国に接触したなどとなれば、余計な波紋が広がってしまったであろうことはリシャールにも想像がついた。
「ここまで状況をひっくり返されるなら、あまり関係がなかったかなという気もします」
「ですな」
 あの禁足は骨休めになったのかどうか、判断に困る。
「ともかく、ガリアでの最後の一仕事、無事に終えたいところですよ」
 オルレアン大公家の城は、ラグドリアン湖にほど近い位置と聞いている。湖と同時に視界に入るだろうと思われた。

 昼前、視界に入った農村に竜を飛ばしてようやく正確な位置を確かめ、大公家の居城のすぐ手前に『ドラゴン・デュ・テーレ』は錨を降ろした。一度、ここだと見定めて降りた城は、王弟家の持ち物に間違いはなかったが廃棄された離宮だった。
「挨拶の後、お引っ越しの相談はするにしても……私とジャン・マルク隊長、それにフネから一人二人というところですか」
「では小官が」
「艦長自ら?」
「セルフィーユまでお預かりする手前、挨拶は欠かせませぬからな」
 これに従卒のジュリアンがつき合わされて、四人だけが船から下りた。エルバートは変事が起きた場合の連絡役として騎竜の準備に取りかかり、フネはビュシエール副長が預かって、やはり大公家の引っ越しに身構えさせた。外遊メイドコンビには、リシャールの客室を病室に使えるよう用意をさせている。
「……ふむ」
「間違いなく、不名誉印ですな」
 門扉に掲げられている交差した二本の杖はガリア王家の紋章で間違いないが、無惨にも上から×字に傷つけられていた。
 その門扉が僅かに開いて、執事風のお仕着せを着た老人が現れた。フネに気付いて様子を見に来たのだろうか、こちらを見て低頭する。
「セルフィーユの方々でいらっしゃいますでしょうか?」
「はい。
 こちらはオルレアン家のお城で間違いありませんか?」
「はい、そうでございます。
 どうぞ中へ」
 老人はやはりオルレアン家の執事で、この城館の一切を取り仕切っているのだという。
 リシャールらは本来馬車で進む道を、彼に従って歩いていった。
 セルフィーユの城が山城なら、こちらは平城と表現できるだろうか。前庭はやたら広い。中は広大な庭園と余裕のある作りの屋敷、それが森と池で囲まれていた。
 ただ……人いきれが殆ど感じられず、とても寂しい印象を受ける。
 ぎいと開けられて入った館の内部も、作りはセルフィーユの数段上と見えたが、廃家の影響かやはり閑散としていた。手入れは為されているので使用人ぐらいはいるのだろうが、館の広さも相まって不気味ですらある。
「どうぞこちらに」
 応接室にてワインを振る舞われるが、勿論乾杯などする気にもなれず、老執事にも腰を掛けて貰う。
「改めまして……。
 このオルレアン家の執事を務めておりまする、ペルスランでございます」
「リシャール・ド・セルフィーユです。この度は……」
「なんと!?
 国王陛下とは存じませず、大変なご無礼を!」
 御自らお運びとは思いもしませんでしたと慌てて跪くペルスランの頭を上げさせ、それどころではないのだと宥める。
 マントに縫いつけられたセルフィーユの紋章は、背中に回らなければ見えなかった。式典用の大宝冠はあれど、略冠さえ用意できていないので、これは無理からぬことである。
「既に伝わっていると思いますが、私は大公家のお二方をセルフィーユにてお預かりするようにと伺っております」
「ええ、はい、こちらにも昨日、王宮から使者が参りまして……。
 奥さまの治療薬が届くことと王弟家の名誉回復、大公領の王領への召し上げ、セルフィーユへの追放を一方的に命じて帰りました。
 ……従う他はありますまい。
 ああ、シャルロットお嬢さまにも何と申し上げてよいやら……」
 肩を落として聖印を切るペルスランに僅かな憐れみを覚えるが、リシャールも大して立場に違いはない。
「ペルスラン殿、奥方様は臥せっておいでとお聞きしておりますが、姫様……シャルロット様はこちらにいらっしゃらない?」
 王弟家の姫君の名前は、イザベラ姫より預けられた手紙の宛名で知っていた。
「はい。
 シャルロットお嬢さまは現在、任務中にて連絡が取れないのでございます」
「任務……?」
「そうでございます。……忠誠を示し続けなければ、わが主は命を紡ぐことも出来ぬ立場なのです。
 お嬢さまは奥さまとご自身の身を守るため、シュヴァリエとして宮廷より命ぜられた汚れ仕事をお引き受けになっておられます。
 ……私が命令書をお預かりしてお伝えすることもございますが、直接お嬢さまの元に命令が届いてそのまま任地に向かわれてしまいますと、問い合わせもできませぬ」
 予想だにしなかった王弟家の現状に、リシャールは思わずラ・ラメーと顔を見合わせた。

「姫様とどうやって連絡を取るかは後ほど話し合うとして……ペルスラン殿、奥方様にご面会は出来ますか?」
 リシャールは、懐から治療薬入りの小瓶を取り出した。
「おお、それが……」
「……はい。
 毒でないことだけは、確認してあります」
「陛下、まさか!?」
「リシャール様!?」
 ラ・ラメーは恐ろしい迫力で睨みつけ、ジャン・マルクは大きく動揺した。
 ……実際は鹿狩りに森に降りたとき、アーシャに毒薬かそうでないかを精霊の魔法で確かめて貰っただけなのだが、この場では明らかな失言だったと悟る。彼女は水の精霊力は感じるし人が飲んでも毒にはならないが、よくわからない薬だとリシャールに告げていた。
「……陛下、今後はせめて我らでお試し下さい」
「毒味役が何のために置かれているか、ご自身の方がよくご存じでしょうに……」
 ジャン・マルクは、主人がかつて護衛兼業の従者をしていたことも知っている。
 その小言はまた今度と二人を押さえ、リシャールはペルスランに向き直った。
「……ご案内、いたしましょう」
 老執事も半ば諦めの境地なのだろう、腰をまるめたまま立ち上がった。

 館の奥まった一室。
 カーテンと寝台、それにテーブルと椅子しかない殺風景な部屋に、リシャールらは案内された。病室にしても、大公夫人の部屋とはとても思えない。生活臭すらなかった。
「眠っておいでです」
 この方が奥方様かと、リシャールは小瓶を握りしめた。寝台に近づけば、元は美しい女性だっただろうと思わせる顔のつくりだが、随分とやつれた様子が目に入る。心の病だけでなく、身体の方も病身であることは間違いない。
「……」
 ペルスランはリシャールと手の小瓶を交互に見てから、小さく頷いた。
 悩んでも後戻りは出来ない。
 マリーとカトレア、アーシャ、そして自分。
 もちろんガリア王弟家の母娘と、セルフィーユの人々の未来もかかっている。
 リシャールは気を奮い立たせ……静かに寝台へと近づくと、開いていた夫人の唇に薬を垂らした。
 体力の落ちた病人は身体が足りない酸素を欲し口を開けて寝ることが多いという、現代日本で得た知識をふと思い出す。
 元から小匙に数杯もない治療薬は、喉に詰まらないようにと気を付けてもすぐになくなってしまった。
「……けほっ」
 夫人は咳を一つしただけで、薬をそのまま嚥下して再び寝息を立て始めた。
 ほっと胸を撫で下ろし、隣で見守っていたペルスランと目を見交わす。
 あとはガリアの王を信じて……いいのかどうかはわからないが、夫人の目覚めを待つばかりとなった。

 リシャールらはペルスランを病室に残して、彼の指示を受けた家人らとともに引っ越しの準備にあたった。
 まずは『ドラゴン・デュ・テーレ』を呼んで、前庭を占拠する。
 荷物を担いで館と外を往復するのは骨が折れすぎたし、乗組員も家人も極少ない。
 セルフィーユへと向かうのは、王弟家の二人に執事のペルスランのみとされていた。家人へと退職金代わりに下げ渡される一部の美術品や馬、馬車、道具類などは別に扱われていたが、ガリア王家から分家された時に伝えられた品々、シャルル大公の遺品、夫人の嫁入り道具など、中には家具や魔法具の大物もあって一筋縄では行かない。
 しかし残していっても国か、新しい代官の懐に収まってしまうのだからと、ペルスランは可能な限りの品をセルフィーユへと持ち込むつもりであった。
 引っ越しと言うより夜逃げ、あるいは秩序ある略奪とでも表現するべき勢いで、『ドラゴン・デュ・テーレ』の船倉はオルレアン家縁の品で埋まっていった。

 荷役が本格的に始まってしばらく、リシャールは夫人が目を覚ましたと告げられた。
 お心が戻られました、奇跡にございますと涙するペルスランの肩に、そっと手を置く。
「陛下を呼びつけるなど不敬の極みながら、お察しいただければ幸いにございます」
「お気になさらず。
 ……私も少し、気が抜けそうになりました」
 老執事がこの様子を見せるならば、薬は間違いなく治療薬であったのだろう。……甚だ我田引水に満ちた論理ではあったが、薬は本物というリシャールの読みは当たっていたのだ。
「ともかく、ご挨拶を」
「ええ、ええ、もちろんでございます」
 荷役の主力として、ゴーレムで地上と甲板を結んで作業を行っていたのだが、あちらも無視できない。ゴーレムを膝抱えで座らせると、艦長らに後を任せ、リシャールは急ぎ病室へと向かった。
「奥さま、リシャール陛下がお越し下さいましたぞ!」
「ペルスラン、落ち着きなさい」
 部屋の中、寝台の上に体を起こしていた夫人は、僅かに身体を折って会釈して見せた。
「リシャール陛下で、あらせられますか?
 わたくしは、クリスティーヌ・ミレーユ・オルレアン、……ごほん」
「失礼。
 ……ペルスラン殿、奥方様をお楽な姿勢に」
「はい、陛下。
 さあ、奥さま、横になられてくださいませ」
「申し訳ありません、陛下。
 お言葉に、甘えさせていただきます」
 治療薬の影響か、または長く病床にあったおかげか、本当に体を起こすのも辛いのだろう。だが、こちらを見る瞳は理知的で、少しだけリシャールを安心させた。
「薬をお飲みいただいてから小一時間、まだご気分が優れないと思いますので手短に。
 現在私たちは、ペルスラン殿の指示を元に引っ越しの準備を進めています」
「ペルスランから、先ほど少しだけ……話を聞きました」
「シャルロット姫様とも連絡がつかないと、聞いております。
 そのあたりの詳しい話も含めまして、奥方様が快復なさってから改めて話し合いの場を設けたいと思うのですが、いかがでしょうか?」
「陛下の御心のままに。
 ……この度は、ガリア王家の身内の争いに陛下を巻き込んでしまい、大変、申し訳なく思います」
「奥さま……」
 年かさの女性に泣かれては、リシャールも言葉に詰まる。
 それに。
 ……果たして、巻き込んだのはどちらであろうか?

 オルレアンの城から積めるだけの家財一切を船倉に詰め込み、最後に夫人ごと寝台を乗せて、『ドラゴン・デュ・テーレ』はガリアを後にした。既に夜も遅くなっていたが、留まる理由はなくなっていた。
 湖を越えれば、そこはもうトリステイン……かつては母国であった土地となる。
 訪ねたことはないが、義兄となるバーガンディ伯爵の領地はオルレアン大公領と国境を接しており、少し向こうには、いつかの園遊会場となっていたモンモランシ伯爵領などもあった。
 航行中は、リシャールに仕事はない。今は艦長と二人、塩入りの香茶を飲みながら雑談を交わしていた。
 メイドも込みで部屋を夫人に明け渡したリシャールは、食事も司令室で摂っていた。エルバートは引っ越しに魔法を大盤振る舞いし過ぎた疲れで寝てしまい、ビュシエール副長は交代に備えて仮眠を取っている。
「船腹が満杯になりましたからな、セルフィーユへの到着は明後日の昼になります」
「十分ですよ」
 引っ越しで疲れたであろう水兵は、短い間隔で交代しながらフネを操っている。艦長に言わせれば、中大破して戦場から退避することを思えば、同僚の死体も転がっていないしフネも傷一つなく、なんということはないらしい。どうもリシャールとは根本的に『大変』の基準が違ったようである。
「今回、無理矢理に三隻同時の運用を試行してみましたが、軍艦一隻商船二隻としても、やはり無理がありますな。
 わかっちゃいましたが、士官の頭数は十分でも水兵が根本的に足りません」
 ラ・ラメーは、いつものようにさあさあ水兵増やして下さいと、リシャールに詰め寄った。外遊が続くようなら考えますと、リシャールもいつものようにかわす。行程の大半を終え、多少は気楽さが戻っていた。
「しかし……。
 就役直後のアルビオン行きが去年でしたか、『ドラゴン・デュ・テーレ』が正真正銘、本物の御召艦になるとは思いもしませんで」
「私も予想外でしたよ」
 アンリエッタを預かった時に、『御召艦のつもりで運用してくれ』とラ・ラメーに申しつけたことがあっただろうか。
「さて、私も少し寝かせて貰います」
「はっ!」
 カトレアには、なんと言い訳したものか。気の迷いは晴れなくとも、明日の昼にはもうセルフィーユだ。ジョゼフ王の私室やロマリアへの訪問に比べれば随分ましかなと、小さくため息をついて司令室を後にする。
 リシャールは一度上甲板に出て、アーシャにおやすみと一声掛けてから、毛布を一枚巻いて空いていたハンモックに潜り込んだ。

 予定通り翌々日昼、夏空の下、リシャールはようやくセルフィーユへと戻ってきた。
「陛下、間もなく到着であります」
「『ドラゴン・デュ・テーレ』は城の門前に降ろして下さい。
 うちの城じゃ、前庭には降ろせませんから……」
 リシャールは先触れを兼ねて、アーシャで城に戻ることにした。エルバートも同行するが、彼は一旦城に降りてから庁舎や領軍司令部へと伝令に出る。他国の男爵様を使いっ走りにしてしまうことになるが、ウェールズからも手が足りぬリシャール王の雑事こそ手伝うようにと命令が下されていた。
「エルバート殿、出ます!」
「了解!」
 速度を落とした『ドラゴン・デュ・テーレ』から飛ぶこと数分、シュレベールの村を横目に城の裏庭へと降りる。ウェールズに託した手紙や指示書が届いていれば、城の方でも客室の用意などは調っている予定で、前日に夜を徹して連絡をつける必要はなかった。
「陛下のお戻りだー!」
 衛兵の大音声に城中が一瞬騒然となり、メイドや従者はリシャールを見て跪いた。『陛下』と呼ばれたことで、連絡は無事行き届いていると確認が取れる。
「至急、城内の全員をホールに集めるように」
「畏まりました」
 リシャールはエルバートを従え、裏庭から屋敷を横に見つつ、ゆっくりと歩みを進めた。
「見事な統制振りですな」
「……うーん、どうでしょう?
 みんな驚きすぎて、私と同じく目の前の仕事に逃げているんじゃないかな……」
「ご謙遜を。
 それだって、なかなかに大したものだと思いますぞ」
 そんなものかなと、前庭の端を回って屋敷の前に出る。
 衛兵が敬礼を捧げ、大きな扉を左右に割った。
「おかえりなさい、リシャール」
「とうさま!」
 中央に、マリーを抱いたカトレアがこちらを見ている。居並ぶ家人達のみならずキュルケとタバサまでもが跪いていることで、却って『陛下』とやらの重みを感じてしまうリシャールだった。
「……ただいま、カトレア、マリー」
 二人に小さくキスをして抱きしめ、ほんの数秒だけ仕事を忘れる。
 不十分ながら家族の存在を実感したことで、リシャールも頭を切り換えた。
「キュルケとタバサもお留守番ご苦労様」
「随分と驚かせて戴きましたわよ、陛下?」
「マリーと遊んでいただけ」
 ありがとうと口にして、リシャールは二人にも微笑んだ。
「カトレアは知っていると思うけど、二人にも紹介しておこう。
 こちらの方は、以前にもご訪問下さったアルビオン王国のブレッティンガム男爵エルバート殿。本日より長期でセルフィーユにご滞在される」
 エルバートはカトレアに跪き、律儀にもキュルケらにはそれぞれ敬礼をして見せた。
「……皆も立ってくれないか。
 本来は口上を述べて、皆にも経緯の説明や今後の指針を示さねばならないところだ。
 だが、急を要する実務の方がそれを許してくれない」
 態度や口調が王様らしいとからしくないとか、いま考えても仕方がない。それは後から時間を掛けて追求することにする。
「もう到着すると思うけど、『ドラゴン・デュ・テーレ』にもお客様が乗っておられるんだ。
 お一人はお身体をわずらっておられるので、皆も注意を払って欲しい。
 ……ジェルメーヌ」
「はい、陛下」
「君には水のメイジとして、しばらくはお客様について貰うことになる。必要な手配を頼みたい」
「畏まりました」
「また、明々後日にはトリスタニアでセルフィーユ王国建国の祝賀会があるから、それに伴う準備にも忙しくなるだろう。
 この数日は勝負所と心得て貰いたい」
 全員の顔を見回し、リシャールがうむと頷いたところで背後から駆け足が聞こえてきた。伝令の水兵だ。
「『ドラゴン・デュ・テーレ』、指定位置に係留いたしました!」
「よろしい。
 エルバート殿、頼みます。
 ……手すきの者は荷運びの手伝いを、他の皆も仕事に戻ってくれ」
「了解であります。
 ではまた、後ほど」
 伝令に出るエルバートを見送り、家人を一度解散させると、リシャールもカトレアらを伴って城の表に出る。
「僕もちょっと手伝ってくるよ。
 寝台ごとお運びしないといけないんだ」
「リシャール、ガリアからのお客様ってそんなに酷いご病気なの?」
「うん。
 快方には向かわれてるんだけど、ちょっと事情が複雑でね……」
「千客万来ね。
 タバサ、あたしたちも手伝いましょう」
「ん」
「助かるよ」
 リシャールは二人を従えて、『ドラゴン・デュ・テーレ』の上甲板に降り立った。
 一部の荷物も運び出され始めているが、大半は空港そばの倉庫で保管され、後日扱いが決まる予定だ。
「夫人は?」
「はい、艦長が向かわれました」
「夫人って……リシャール、浮気じゃないでしょうね?」
「しないよ!」
「美人?」
「……美人だよ」
 動じないタバサも見事すぎるが、キュルケは切り替えが上手いのか、リシャールとしても見習いたいところである。先の演説もどきなど、内心では冷や汗ものだった。
「おい、そこの荷を右手に寄せろ! 寝台が通らん!」
「はい!」
 水兵が走り回る向こうからラ・ラメーの怒鳴り声が甲板に届き、先導のペルスランが艦前部の荷役扉から姿を現した。
 そちらを見たタバサが大きく目を見開いて固まっている。彼女はメイジの象徴たる杖を取り落とすほどに、混乱しているようだった。
「ペルスラン……!?」
「どうしたの、タバサ?」
「……何故ペルスラン殿の名を!?」 
 彼女はあっと言う間にペルスランへと駆け寄り、リシャールとキュルケは取り残された。何事かと、二人で顔を見合わせる。
「シャルロットお嬢さま!?
 おお、始祖よ!!」
 ペルスランも驚きの声を上げていたが、タバサはその向こう、ラ・ラメーがゆっくりと甲板に持ち上げた寝台の上を見て言葉を失っていた。
「かあ、さま……!?
 どうして……?」
「お嬢さま、よくよくお聞き下さいまし。
 奥さまは、奥さまは……お心を取り戻されていらっしゃいます!!」
「!?」
「ほんとうに、シャルロットなの……!?」
「母さ、ま……!!」
 ふむと一つ頷いたラ・ラメーが気を利かせ、寝台をそっと甲板に降ろした。
 抱き合う母娘を引き離すことも出来ず、しばらくは荷役が止まってしまったが……これでいいのだろう。水兵達にも二人の邪魔をしないようにと、手を止めさせる。
「……お客様って、タバサのお母様だったの?」
「……僕も知らなかったけどね」
 どうしてタバサがシャルロット姫なのか……いや、彼女はいつぞや『伯父から調べてこいと言われた』と口にしていたから、偶然ではないのだろう。
 これ以上の驚きは、本気でしばらく遠慮したい。
 気が抜けたリシャールは、船縁を背にして座り込んだ。




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