ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第三十五話「外遊の後始末」




 ともかくクリスティーヌ夫人にはお休みいただこうと、用意した客間に寝台を運び込み、『ドラゴン・デュ・テーレ』は空港へと帰っていった。今頃はエルバートの伝令を受けた領軍の半数が、荷役の支援に向かっていることだろう。
 タバサことシャルロット姫は、ペルスランと共に当然夫人の側についている。
 キュルケは気を利かせてくれたのか、また後でねと一言残し、マリーを連れて城内の散策に出てしまった。

 人払いされたリシャールの私室には、カトレアだけが足を運んでいた。
 なかなかに切り出しにくいが、ここで時間を浪費しても意味がない。リシャールは重い口を開いた。
 散文的になってしまったが、ガリア外遊の顛末を短くまとめる。
 もちろんカトレアは真剣に聞き入っていたが、新教徒の件やガリア王弟家移住の裏事情はリシャールも口を噤んで伝えなかった。あれらは必要なとき以外、一切口外せぬと決めたのだ。
「あまり、驚かないんだね」
「リシャールならわたしとマリーのこと、何があっても絶対に守ってくれるでしょ?
 ……違うかしら?」
「……違わない、な」
 軽い口調にして重い問い。そして、絶対的な信頼。
 だが、当たり前でもある。
 家族を守らぬ夫など、どこにも価値がないではないか。 
「それにね、リシャール」
「うん?」
「王子様は、大人になると王様になるものよ?」
「……そうだね」
 にっこりと笑う彼女に、そこに繋げてしまうのかと、リシャールは目を閉じて大きく息をはいた。
 カトレアは、最初からリシャールを王子様に例えていたかと、今更ながらに思い出す。
 彼女には、すべてお見通しだったのだろうか……。
 上手く乗せられているらしいと気付いたが、乗ってしまうのが正しい気もする。
 自分がうだうだと悩んだところで、状況が変わらないなら前に進むしかなかったし、同じ進むなら、気分良く進む方がいくらかましだ。カトレアは、そのことをリシャールに伝えたかったのだろう。
「カトレア」
「なあに?」
「……元気が出た」
「そう、よかったわ」
 微笑むカトレアに、一生勝てないんだろうなあとリシャールは頭をかいた。

 その元気が消えないうちにと、リシャールは庁舎に顔を出した。
 アーシャが降りたその場に、こちらを見つけた官吏が駆け寄ってくる。
「陛下!」
「わかっている。
 ともかく挨拶は後、今は業務を続行して欲しい。
 それから、フレンツヒェン宰相とマルグリット女史を、私の執務室に」
「畏まりました!」
 表口でもアーシャの飛来を目にして国王陛下を一目見ようと人々が集まっていたが、軽く手を挙げて騒ぎを静め、リシャールは執務室へと入った。
 いつもの仕事場に、いつもの書類束。
 これもあと数日は……いや、建国に関連して、加速度的に増えるか。
「失礼いたします、陛下」
「おかえりなさいませ、リシャール様」
 嘆息する暇もなく、フレンツヒェンとマルグリットが息を切らせてやってきた。
 跪く二人に、これからもよろしくと短い挨拶で済ませ、早速話を切り出す。
 この状況下、首脳部三人と連絡が取れないのもまずいと、扉は開け放ったままである。
「さて……。
 書類束の方にも書きましたが、セルフィーユは王国になります。
 庁舎の方は以前決定した侯国政府案に外務府を付け足す形で王国政府を発足させますが、宗主国の庇護が消えたことで、貢納金も消えたと同時に関税の問題も生まれました。
 マザリーニ宰相とは、一時的に通常の関所とトリステインを模範とした関税を取り入れると約束しましたが、セルフィーユの商都化は一旦断たれたと見て間違いないでしょう。
 これについて、何か案があれば聞きたいのですが、どうですか?」
「街道工事もこちらの手を離れたとお書きになられていましたが、ゲルマニアも同じ対応でありましょうか?」
「政府間の約束ですから、止めようもない、と言ったところでしょうね」
 三方一両損……にしては、後味がすっきりしないし美談でもないが、関税の件は正攻法で行かないと、自分の首を絞めてしまう。
「ついでにもう一つ、街道工事の方はこちらも手を引きますが、現在工事に従事している労働者からいきなり仕事を奪うわけにもいきません。
 しばらくは、ラマディエから北に伸びている残り部分で仕事をして貰うとして、そちらが終われば、私としてはラマディエ市中に運河を掘り、同時に運河と組み合わせた市壁および市中要所の防火帯の建造に振り向けたいと思っています」
「運河……でありますか?」
「ロマリアのアクイレイアに寄った時に、重量物運搬にはあちらの方が効率がいいなあと思ったんです。
 ただ、あの規模は必要ありませんし、空港と新市街の市場、製鉄所のあたりで小舟が使えればいいかなと。防火用水にも水壕にもなりますしね。
 市中にまで巡らせる気はありませんし、可否も含めて、詳細を詰めるのはもう少し時間が出来てからですが、頭の片隅にでも入れておいて下さい」
 あれば便利だが、ないならないで構わない。潮の干満差や予算の都合で諦める可能性もあるから、今の段階では単なる思いつきの域を出ていなかった。
「ともかく関税の件は、このまま商都化を諦める場合と、代案発案の二点について平行して進めたいと思います。
 それから次に、先日作った予定表ですが、明々後日に祝賀会が挟まってしまった分、一週間向こう側にずらしてそのままで進めたいと思うのですがどうでしょうか」
 帰国予定から足が出た二日に祝賀会の出席が前後三日、足して五日の遅れに加えて、王国となった混乱は最小限に留めたいところである。
「発足式と国内巡幸は内輪の話ですから、特に問題ないかと思います。
 ただ、即位戴冠式は既にお済みでも、パレードを行われてはいかがでしょうか?
 国主就任と国王陛下の御即位、やはり扱いを同じくするのはどうかと……」
「それは必要でしょうな。
 陛下も入り口でご覧になられましたように、あの騒ぎです。やはり顔見せぐらいはしておかれては?」
「馬車で城から庁舎に向かうぐらいなら、まあ……」
 マルグリットらも苦笑しているが、リシャールがパレードや催し物でさらし者になるのがあまり好きでないことは、庁舎内だけでなく良く知られている。
 それに、王国となった何かの区切りが必要だということも、理解はしていた。

 合間に官吏達の報告を受けては指示を返しながら、会議は続けられた。
 ガリア王弟家について一旦保留とした他は、五大国が認めたとは言え未だ国交さえ結ばれていない中小国への挨拶を兼ねた使節の派遣、恐らくは祝賀会時に問い合わせを受けそうなトリステイン大使館の立地など、急ぎのものから片付けていたが、日が暮れたのをきっかけに一旦お開きにする。
 リシャールには城に戻る前に、どうしても済ませておかねばならない仕事があった。

「突然訪問して申し訳ない、クレメンテ殿」
「国王陛下。
 御即位、おめでとうございます」
「……ありがとうございます」
 リシャールは夕闇が迫る中、大聖堂のクレメンテを訪ねていた。
 例の如く、人払いがなされた小部屋に二人きり。幾ら口を噤まねばならないとは言えど、流石に新教徒の件に関してクレメンテへと一報を入れずに済ますことは出来ない。
 ウェールズらより聞いた諸国会議での経緯を話し、本題に入る。
「セルフィーユを王国建国へと主導したのはガリアですが、ロマリアは確実に同調していたそうです。
 教皇聖下にもお会いしてきましたよ」
「……ほう?」
 クレメンテの顔が、少し険しくなった。
「かなり以前から新教徒の移住について知られていたことだけは、間違いないようです。
 私が新教徒を飼い殺しにする限り、私の顔を立てて王国には手出しをせぬと、真っ正面から突きつけられました」
「……そうでありますか」
「ですが、そのおかげで平衡が保たれることにもなりました。
 新教徒の集住……いえ、封じ込めの件は、他の四国の上層部にも知らされましたから、おいそれとはセルフィーユに手が出せません。
 ロマリアからは喉元に審問状を突きつけられているような状態ですが、ガリアは……何を考えているのか今ひとつわかりませんが王弟家を復旧してセルフィーユ王家の後ろ盾に持ってきましたし、ゲルマニアが領土拡張を狙って国境に連隊を幾つも並べるような事態は避けられました。
 但し、これら裏事情は一切表には出ていません。
 セルフィーユ王国の建国は、諸国会議に参加した五大国全てが歓迎し、教皇聖下よりお墨付きすら頂戴するほどの慶事とされました。適当にもてはやしていれば、国土を切り取られたトリステイン以外は誰も損はしない……いえ、トリステインも私を切り離したことで、政治問題に一応の解決を見ましたでしょうか。アンリエッタ殿下と私のやり取りは、美談にすらなる予定です。
 幸い、これら裏表があってもなお、トリステインおよびアルビオンは好意的で、今後も良好な関係が維持できそうですし、王国の建国こそ押し切られましたが、まったく未来が見えない袋小路でもないかなと、今は思っています」
 リシャールは一気に語り終えて、クレメンテに視線を向けた。
 不思議なことに、意外そうな顔でリシャールを見ている。
「……どうかされましたか?」
「陛下は……現状より逃れられぬとは言え、我らに対して何も仰られないのですね……」
「……糾弾の言葉ぐらいは、かけて然るべきと?」
「……ええ、そうです」
 どうだろうなあと、リシャールは首を捻った。
 新教徒の問題は王国成立の一因にもなったのだろうが、それが原因の全てではなさそうだということも同時にわかっていた。セルフィーユの独立に誰も彼もが都合の良い理由を押しつけていったからこそ、ここまでの大騒ぎになったことは間違いない。
 だからと言うわけでもないが、口調も柔らかいものに改めて、リシャールは大げさに肩をすくめてみせた。
「正直に言えば……困ったなとは思っていますが、今更だなあと言う気分の方が大きいので……。
 これからも人数が増えそうですし、贅沢は出来ない田舎町ですけど、今まで通り隠れ住んで貰う分にはむしろ歓迎します。
 もちろん、建国をきっかけとしてロマリアに正面切って喧嘩売る準備なんてされたらものすごく困りますけど、それ以外は……よく考えれば今まで通りで、私も取り立てて困ることはないんですよ。
 クレメンテ殿はどうですか?
 ロマリアと対立しているのはこれまで通りで、そこにいるのは分かっているんだぞと言われたところで、今更じゃないですか。
 大人しくしているなら手を出さないと、非公式ながら相手の譲歩を引き出したとさえ言えるかも知れませんよ?」

 宗教思想的な温度差は、現代日本での記憶を持つリシャールには理解不能な部分もある。信教の自由など、ハルケギニアにはない。一神教が支配する世界での異端者がどれほどの厄介者か、実際に肌で理解しているとは言い難かった。
 しかし、ここで話し合われている内容もまた、裏事情の一つである。
 新教徒はいないことになっているし、リシャールも世間では、司教の嘆願一つで学舎まで備えた大きな聖堂を寄進するほど敬虔な人物とされていた。
 セルフィーユ家に対して含むところを見せる様子もなし、彼らが静かにしているならこちらも何かをするつもりはなかった。ロマリアに口実を与えさえしなければ、彼らは守るべき領民……いや、国民である。むしろ、移住者の増加による効果が無視できないところまできていて、彼らが居なければ本物の田舎に転落してしまうだろう。ロマリアにとっては清貧を唱えて宗教利権を脅かす異端者でも、セルフィーユとリシャールには、税を納めて法を守っている限り昔からの住民となんら変わりはなかった。

「我らが敗れてこちらに逃げてきたことは、始祖のお導きだったのかもしれませんな……」
「……セルフィーユは狩り場の隅にある小さな森で、私はただの猟師の下働きかもしれませんが?」
「それでも狩り場の目立つ場所にいるよりは、いくらかましでしょう。
 ここには猟犬も勢子もおりませんから」
「ともかく、建国の裏にはそんな事情があるとだけ、お含み下さい」
「陛下の御心遣いに万謝を」
 クレメンテは丁寧に聖印を切って見せた。
 ……国内に限ってみれば、問題ですらないのかも知れない。
 リシャールとクレメンテはそもそも対立していないし、安住の地の提供と引き替えに納税や法の遵守が約束された『取引』を破棄したわけでもなかった。
 新教徒問題は苦しい外圧を押しつけてきたと同時に、その他の外圧からセルフィーユを守る盾でもあるのだ。

「夫人のお加減はどうでした?」
「艦内でお見かけした時よりは、随分と快復されていました」
 客人も滞在しているので食事の時間はとうに過ぎていたが、先に話をしておきたいと、カトレアがペルスランからお伺いを受け取っていたのである。
 家族と客人らにはごめんと一言謝り、暗い夜空を飛んでの大聖堂からの帰城直後、リシャールはジャン・マルクを従えてオルレアン王弟妃の病室とした一階奥の間、かつてはカトレアやヴァレリーの産室として使われていた一室に向かっていた。

「お待ち申し上げておりました」
 扉の前には人払いを兼ねて既にペルスランが待ちかまえており、ジャン・マルクが交代した。
「リシャール陛下がいらっしゃいました」
「失礼します」
 室内のクリスティーヌ夫人とシャルロット姫が、リシャールを見つけ跪く。
 驚いたことに、クリスティーヌ夫人は寝衣から着替えもしていたし、跪いた姿にはぶれ一つ見られない。
「どうぞ頭をお上げ下さい。
 ……というか、もう歩かれて大丈夫なのですか!?」
「ええ、ご心配をおかけいたしました」
 リシャールは一つ頷いて、ジャン・マルクに自分の私室から安楽椅子を持って来るよう手配させると、テーブルの椅子を一つ、それと取り替えた。
 夫人は確かにしっかりとした様子だったが、療養中のカトレアの様な雰囲気も同時に感じ取ったのだ。
「どうぞ、お使い下さい。
 多少はお楽かと思いますので……」
 リシャールはタバサに加えて、恐縮するペルスランもテーブルに着かせた。

「そう言えば、一つ忘れていました。
 シャルロット姫へのの手紙をお預かりしていまして……」
「タバサでいい」
 本人はこう言っているがと、リシャールは困ったような視線を夫人と執事に送った。
 宮中席次はともかく、相手は大国の王姪である。
「名を取り上げられたシャルロットがタバサと名乗っていたことは、ペルスランとシャルロット本人から聞きました。
 ですがこの子の親友もタバサと呼び続けるようですし、陛下のよろしいようになさって下さい」
 母の言葉にタバサも頷いたので、リシャールもキュルケがそうするならと、タバサで通すことにした。
「……じゃあ、公式な場以外では、タバサと。
 僕も今まで通り、リシャールでいいよ」
「それでいい。……わたしも陛下とリシャールを使い分ける」
「うん、わかった。
 預かりの手紙はこれだよ」
「……イザベラ?」
「直接お預かりしたんだ」
 少し眉根を寄せてから、タバサは封を切って手紙を読み進めた。
 皆が見守る中、さっさと読み終えた彼女は、おもむろにリシャールへと手紙を差し出した。
「……読んでもいいの?」
「ん」
 渡されたリシャールは中身を見て困惑した。
 どう表現してよいものか、手紙の体をしていながら、それは手紙ではなかった。
 一枚目はセルフィーユの調査を放棄せよと記された、ガリア王国北花壇警護騎士団所属『七号』宛の指令書。
 次は『七号』の退団許可。その次はシュヴァリエの剥奪命令。
 その全てに、北花壇警護騎士団長イザベラの名があった。
 なるほど、『伯父から調べてこいと言われた』は、ここに繋がるわけだ。
 タバサがどんなことを調べていたのかはともかく、かなり前の段階でセルフィーユへの罠は仕掛けられていたのだなと、リシャールは得心した。
 しかし……従姉妹同士でありながらこの温度差、叛乱者の娘に対する態度としては当たり前なのだろうが、どうにもやりきれない。
「……ありがとう。
 奥方様の快復と平行して、シャルロット姫を探しに行こうとしてたから、手間が省けたかな」
 冗談めかして言うと、タバサは困ったような目でリシャールを見上げた。
 ……密偵が『私は密偵です』と証拠を差し出しているわけだが、今後のことも考えれば、彼女の責任を追及しても溝が出来るだけであまり意味がない。よくぞ正直に申して下さいましたねと褒めるのも何か違うし、適当な理由で有耶無耶にするのが一番だった。
「怒らないの?」
「タバサには悪いけど、ガリアが命じるべきはトリスタニアでの調査だった。
 こちらを調べても、独立のことは出てこないはずでね」
「……?」
「タバサがセルフィーユに来た時点で、一番知られてはいけないことがガリアには伝わっていたというか、それを知られていたからタバサに命令が下ったというか……。
 タバサも……いえ、お二方も、他言無用でお願いしますね?」
 全員が頷くのを見てから、リシャールは茶杯で喉を潤した。
「いまだから話せるけど……侯国への独立は最初から期限が切られていてね、当初四、五年でトリステインに戻される予定だったんだ。
 それが決まったのがフェオの月、魔法学院の入学式の頃かな。
 この時期にトリスタニアでは、アンリエッタ殿下やマザリーニ宰相が反対派の貴族を説得して回っていたから、そこから洩れたんだろうなと僕は思ってる。
 それを何故、ジョゼフ王が利用したのかはわからないけど、ロマリアが賛同していたせいもあって、諸国会議ではトリステインどころかゲルマニアさえ抵抗する間もなく王国化が押し切られてしまったそうだよ」
 本当に、独立についてセルフィーユで調べのつくことはほとんど無かったのだ。大事なことは、全てトリスタニアで決められていた。
「都合の良い時期、都合の良い場所に独立国が生まれて消えることが知れて、そこに便乗しただけかもしれないし、もっとしっかりした深慮遠謀があるのかもしれない。
 マザリーニ宰相はガリアは国内不穏の種を外に出すと同時に、ゲルマニアへの牽制と戦争の口実を作りたかったのではないか……とも口にされていたんだけど、これも今ひとつ決定打に欠けるかな。
 こちらの説だと、ここを王国にする必要が薄れてね……宰相やウェールズ殿下とも考えたけど、答えは出なかった」
「そうですな。
 不敬ながら……オルレアン家を放置しても、国内外の情勢にはほぼ影響がなかったかと。
 それよりも、何故今頃になって奥さまの治療まで……」
「そうね……」
 ごもっともと頷いてペルスランが口を挟み、夫人も腑に落ちない様子で首肯した。
「リシャール」
「なにかな?」
「母さまの心を取り戻してくれたのは嬉しい。本当に感謝してる。
 でも、ペルスランから、母さまに薬を飲ませる前に自分で試したって聞いた。
 ……どうして?」
 こちらの言い訳を考えていなかったなと、リシャールは冷や汗を流した。流石にアーシャのことは話せない。だがタバサの目は真剣その物で、答えないわけにも行かなかった。
「ガリアがタバサの母上を殺したいのなら、元々叛乱を理由に潰した王弟家だから、単に死を命じれば済むはずなんだよ。……タバサも含めてね。
 ……なのに手間暇かけて王国を作って、その上王弟家も復旧して後ろ盾にするんだから、元々、毒じゃないとは思ってた。
 それにね、ジョゼフ王の態度もどこか変だったかな」
「変、って?」
「ガリアの力でも奥方様の病を治せないのかお聞きしたら、わからない、そう言えば誰にも聞かれたことがなかったなって、不思議そうにされてたよ。
 その後かな、『リシャール王は治した方がいいと思うか?』って、真顔で聞かれてね……。
 ジョゼフ王が何をお考えかは、僕にはちょっと読めなかった」
 ほんとになあと、リシャールは天を仰いだ。
 タバサは虚を突かれたようにリシャールを見つめ、ペルスランは聖印を切ってため息をついた。当の夫人でさえ、呆然としている。
 三人は顔を見合わせてから、リシャールへと困惑の視線を向けた。
「陛下、わたくしに心を失わせる薬を飲ませたのは、ジョゼフ王なのですよ……」
「……えっ!?」
「正確には……シャルロットに飲ませようとしたのですが、わたくしが奪って飲みました」
 ペルスランは沈痛な表情で、タバサは俯いたまま、クリスティーヌ夫人の言葉を肯定した。
 ますますもって、ジョゼフ王の真意がわからなくなる。
「陛下にお縋りしたいことがございます」
 夫人は決意が固まったのか、こちらをじっと見据えた。聡い人らしいとリシャールも頷き、続きを促す。
「ご存じのように、当オルレアン家は……名誉こそ回復されましたが、領地も取り上げられ年金も与えられず、亡命貴族そのもの。
 ですが幸い、ペルスランが気を利かせて家財の一部を持ち込んでくれました。
 陛下には、これを売るお手伝いをお願いしたいのです」
「それは……」
「わたくしは、せめてこの子が、これまで通り魔法学院に通えるようにしたいと思います。
 この子は……復讐を望んでいますが、わたくしはもう、争いは沢山なのです」
 やりきれない様子の夫人に、リシャールも開きかけた口を閉じた。
「夫が暗殺された後、わたくしは決起を止めようとしましたが……わたくしが心を失ってからも、夫を慕う者たちは次々と殺され、逮捕され、追放されたと聞きました。
 もう身内同士で血を流すことも、醜い利権争いも、見たくはありません。
 この子もシュヴァリエとされて酷い目に遭いましたが……キュルケ嬢や学友たちが心を開かせてくれると、わたくしは信じます」
「母さまと約束した。
 ……学院に通っている間は、考える時間にする」
 タバサは無表情だが、こちらの反応を伺うようにも見えれば、何も言うなと口を結んでいるようにも見える。
 リシャールは、殺したいほどに誰かを憎んだことはない。
 だから彼女の気持ちの奥底はわからないが……母親も心を取り戻し、一時の平穏が約束された現在、考える時間を得られたことは彼女にも良いことではないかと思えた。

 重い沈黙に、少し空気を入れ替える。緩急は必要だった。
「話は変わりますが……ペルスラン殿」
「はい、何でございましょうか?」
「創家して三年あまり、我が家が王家になるなど誰も想像していませんでしたから、実は……少々困っております
 お二方のお世話に専属の従者とメイドをつけようと思うのですが、貴殿にはその者たちへの教育も同時に引き受けていただきたいのです」
 ガリアからは、ペルスラン以外の使用人を誰一人連れてくることが許されなかった。その為、こちらから人を出すのは当然なのだが、彼も言い出しにくかろうと水を向けてみたのだ。……それに、困っているのは本当だった。
 夫人が小さく頷いてリシャールに謝意を示したことで、ペルスランも迷うことなく受け入れた。
「是非もなしでございます。
 陛下のご差配に感謝いたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 それから、とリシャールは付け加えた。
「お持ち込み家財は思い出の品でありましょうし、売る必要はありません」
「何ですと!?」
「往事のオルレアン家には届くはずもありませんが、タバサ……シャルロット姫の学費も含めて、全てこちらで何とかします。
 ペルスラン殿にも、招聘した家人指南役という体裁で、当家執事格の給金をお渡ししましょう。
 かえってご不自由をおかけするかも知れませんが、これには……当家の体面や政治的な意味も含まれていますので、どうか受け入れていただきたく思います」
 明らかに貧乏暮らしを要求しているのだが、セルフィーユにも外交上無視できない理由があった。
 それらを全て察してくれたのか、夫人は静かに頷いてリシャールの言を受け入れた。







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