ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第三十八話「白の国再び」




「陛下、クルデンホルフの大公殿下がご訪問を希望されていらっしゃるそうです」
「……は?」
 建国成ったニイドの月の月末、リシャールは執務室で頭を抱えていた。
 クルデンホルフ大公国はトリステイン、ゲルマニア、ガリアの三国と国境を接し、交易と貴族相手の貸金業で財を成している大金持ちの大公家を国主に戴くトリステインの衛星国で、成立しなかったセルフィーユ『侯国』と同じく名目上は独立国と、リシャールが先輩格として意識していた国でもある。
「フレンツヒェン宰相からのフクロウ便によりますと、あちらでは相当な歓迎を受けただけでなく対応も非常に好意的であったようでして、大公殿下はご即位の祝辞を是非とも言上したいと仰られていたそうです」
 そこまで気に入られるようなことをした覚えは全くないのだが、そう言えば借金の申し込みをした時も、小僧の使いどころか最初から上客扱いだったなと思いだし、これも義父の影響力なのかとリシャールは首を捻った。クルデンホルフにも思惑はあるのだろうが、どうにもよくわからない。
 義父などはゲルマニア生まれの成金風情と歯牙にもかけていない様子であったが、リシャールの方が宮廷席次は上でも国力は比べ物にならず、セルフィーユは新興国と小馬鹿にされるクルデンホルフの更に上を行く赤子同然の国であった。当たり前だが、虎の威を借る狐のような態度は御法度であろう。
「……ともかく、歓待の準備を進めておきましょう。
 来週中を予定して平常業務は前倒し、城の方にも連絡を入れて下さい」
「畏まりました」
 どうしたものやらと悩む暇もない。リシャールは機械的に指示を出して、客を迎える準備をはじめた。

「あ、あの数は、少々予想外ですぞ……!?」
「四十は越えていましょうな」
「……竜騎士はともかく、竜は露天で我慢して貰うしかないですね」
「きゅいー」
 翌週、国境付近まで大公の竜篭を迎えに行った『ドラゴン・デュ・テーレ』を先導に、数十の竜騎士……大公国ご自慢の空中装甲騎士団『ルフト・パンツァー・リッター』に守られた金きらの竜篭がシュレベールの城に到着した。下手をせずとも中古のフリゲートより高価なのではないかと、リシャールは苦笑する。いや、彼の国は『金がある』ことを示し続けることで身を守っているのだから、ある意味正しい。
 シュレベールの村ではちょっとした騒ぎになっていたが、あの数では仕方あるまい。
 赤絨毯さえないが、リシャールも正装で竜篭の前まで自ら歩いた。備えも間に合わない上、下手に格式ぶるよりはと知恵を絞った結果である。
 クルデンホルフ大公エンゲルベルト・シュテファン・フォン・クルデンホルフはリシャールと同じ様な上背の、小柄な男性である。歳は確か四十の手前頃だっただろうか、一昨年の園遊会にて義父のおまけで挨拶だけは交わしていた。
「おお、リシャール陛下御自らのお出迎え、お心遣い痛み入ります」
 竜篭から降りた大公は、リシャールを視界に入れるやいなや、驚くほどの素早さで地面も気にせず跪いた。ジャン・マルクらが戸惑っている。
 だが一かけらの躊躇いすらない大公の態度に、リシャールは気付かされた。
 セルフィーユへの訪問は、彼にとっては大事な『営業』なのだ。大国三国に囲まれながら巧みな外交で国を維持してきたというのは、どうも間違いないらしい。
 リシャールは大公に近づくと同じように膝をつき、彼の手を取った。
「大公殿下のご訪問を、心より歓迎いたします」
 態度で『営業』を受け取ったと示すと、随分と驚いた顔の大公にリシャールはにっこりと笑って見せた。
 失礼ながらジョゼフ一世や聖エイジス三十二世に感じた恐怖感や、ジェームズ王から受けた畏怖心のようなものは感じない。代わりに大公からにじみ出ているのは、バランス感覚に優れた経営者のような経済人的カリスマであった。大身の貴族にしては、逆に希有であろうか。
 一筋縄ではいかないだろうが、力量や人柄まで知らなくとも、ある意味非常に分かり易い相手と安心したのである。

 建国の宣言より半月、至らぬところもありますがと口にしつつ城に案内して滞在中の客人たちを紹介し、夕食までは軽い話題で場を繋ぐ。
 間に合わせとは言え、大きな天幕で野営する竜騎士達にも不足なく酒食が振る舞われ、リシャールの方の本番は夜、奥の応接室にて差し向かいで酒杯を酌み交わしてからとなった。……もっとも、竜騎士隊の竜に食わせる餌は一頭あたり豚半頭、足りない分は緬山羊や魚介類で補うという形になってしまったのは仕方あるまい。
「陛下の御即位より半月、お忙しいところを申し訳ありませぬ」
「いえ、ここが諸侯領ではなく王国であると国の皆に知らしめる意味でも、殿下のご訪問はありがたく思います」
 忙しくはなったが、それなりの見返りもあるものだ。少なくとも、クルデンホルフには国として認めて貰ったのだなと、世間は判断するだろう。
 それにしてもと、大人しく酒を口にする大公を改めて見やる。
 ……この御仁、本当にご機嫌伺いの為だけに来たのであろうか。

 口約束ながらリシャールは銀行の支店開設を歓迎し、大使館領事館は未開設の大国に遠慮してお互い開設しないが、両国の友好を確認したクルデンホルフ大公は笑顔で帰路についた。
 銀行などは……三十もないセルフィーユ貴族家、しかも給金とは別に年金が増えているのに金の掛かる社交場さえもないこの状況で、一体誰が借りるのかと首を捻る。
 だが、一番期待される借り手が自分であると気付いてリシャールは頭を掻いた。お困りならばいつでもご用立ていたしますよ、と言うわけである。国土も経済力も小さな新興国、出来たばかりで権威ばかり高いと来れば、上得意さまと見えても仕方あるまい。
「貴族の足取りはそれなりに目立ちますからな。
 こちらにも窓口を作ることで、トリスタニアやヴィンドボナまで行くよりもトリステインやゲルマニアの貴族が足を向けやすくしたのかも知れません」
「なるほど、そちらが本命の可能性は高いですね。
 ……貴族向けの宿が必要になるかな?」
「流石に『海鳴りの響き』亭の女将も、あまり貴族が多くては困るでしょうな」
「引き受け手がいるなら、こちらで建物と初期の費用ぐらいは援助してもいいんですけどね……」
「公募致しますか?」
「……いい機会ですね。
 詳細を詰めておいて下さい」
「畏まりました」
 こちらで手が上がらないようなら、接客業方面では何かと頼りになる『魅惑の妖精』亭のミ・マドモワゼルにでも聞いてみればいいだろう。その話は頼りになる家臣らに任せようと、リシャールは頭を切り換えた。

「じゃあ、また冬に」
「二人とも、身体には気をつけてね」
「いってきます、お母様」
「向こうでしっかり考えてきなさい、シャルロット」
「キュルケ、タバサ。
 ルイズ達にもよろしく」
「ばいばーい!」
 月末、ぎりぎりまで滞在していた学生たちを『ドラゴン・デュ・テーレ』で送り出すと忙しかった夏がようやく終わり、入れ代わるようにして『サルセル』が無事に任務を終え、セルフィーユの空港へと帰投してきた。
 北方三国とは元より揉める要素もないのだが、やはり無事に国交が結ばれると一安心するものである。
 オクセンシェルナなどは公女殿下がリシャールの二つ名『鉄剣』に興味を示したらしく、マルグリットが『亜人斬り』の注文を取ってきたおかげで、リシャールは久しぶりに政務を放り出して昼間から鍛冶場へと篭もることになった。
「どうもご本人が手にされるご様子で……」
「騎士姫様ですか。
 それにしても魔法剣でなくて、普通の剣……?」
「武辺者の国だからと、お笑いになられてましたわ」
 しかし、剣一振りで友好国が一つ増えるならずいぶん安い物とフレンツヒェンらも頷いていたし、異国の姫君の手に自分の作品が渡るのも面白いとリシャールも気合いを入れた。
「流石に剣一本届けるのにフネは出せませんが……待たせすぎても失礼でしょうね」
「春から秋の間はアウグステンブルクとの航路がありますから、そちらを使われては?」
 なるほどと馬車に乗せられた『亜人斬り』が陸路ゲルマニアを通ってアウグステンブルク経由でオクセンシェルナに旅立っていくのを見送ると、リシャールも旅立つ準備に手を着け始めた。
 アルビオンの国王ジェームズ一世には、流石に一筆で済ませるわけにもいかなかったのである。

 先にメイトランド臨時大使を通して伺いは立ててあったが、アルビオンへ行く準備などフネの用意などよりも残していく国の方に問題が大きい。元より外遊が多いリシャールだが、組織が大変革された直後とあって要らぬ混乱が起きぬようにと気を使う内容は多かった。トリステインにもアルビオン訪問を知らせ、先に確認を取ってから旅程の公表を行ったほどである。
「少し状況を整理しましょうか。
 アルビオン行きを含めた私の方はともかく、王政府も少し余裕を持たせたいところですね」
「こちらも予定表が綱渡りに過ぎますな……」
「冬までにはもう少し落ち着くとは思いますが……今ひとつ自信に欠けるなあ」
 そのアルビオン行きを数日後に控えて、いつものようにフレンツヒェンと二人、書類を前に顔を突き合わせる。互いにその日の仕事は大体決まっているが、朝拝も兼ねた情報交換は欠かせない。
「関所には応援を送ったと聞きましたが……」
「長蛇の列で街道の流れが止まるほどではありませんが、関所の運用はまだまだ慣れにはほど遠いところです。
 先日増員した財務府配下の新人は、皆そちらに吸い取られました」
「他はどうです?」
「工務府は東向きの街道工事完遂が予想される来月までに、なんとかラマディエ市中の運河堀と市壁、防火壁の配置図を調えなくてはと、忙しくしております。
 内務府は平常ですが、数人を財務府の応援に出しておりますので余力はありません。
 外務府はしばらくお預けですな」
 セルフィーユ王政府は、実に単純な構成にしてあった。
 宰相以下、内務、工務、財務、外務の四府に法院だけで組織されている。現代日本の省庁組織図は幾らか思い浮かべてみたものの時代が違いすぎて参考にならず、トリステインやガリア、ゲルマニアの王政府から不要部分を削って出来上がっていたから、大抵の面倒事はまず内務府に押しつけられ、その後時期を見て部局を独立するか担当だけを配置するか決めるという予定にしていた。実際、工務府は将来を見越して独立させたが、工務卿と中級官吏の二人で構成されている。
 外務府は外務卿不在でトリスタニアの商館と大使公邸のみが存在していて、しかも現地に赴いている官吏は内務府と財務府の所属であった。現在はリシャールが引き受けて、フレンツヒェンが補佐しているに等しい。
 その他にも、本来なら不可欠とされる宮内府は城の方にまとめられてそちらで予算と業務を預かっているし、王国陸軍と王国空海軍は王政府の管轄ではなく、リシャールの直下にある独立組織である。現在は総軍出撃や宣戦布告を伴った他国との開戦に御前会議の承認さえ必要ないが、さて、子孫には重石を着けておくべきか否か、答えは未だ出ていない。
「関所と関税の一件による混乱も将来の税収を約束するものですから、まあ、悪いことではありませんな」
「予定通りに行かないのは今に始まったことではない、というあたりで納得しましょうか。
 幸い城の方はペルスラン殿に一肌脱いで貰ったことで幾分落ち着いてきましたし、クリスティーヌ夫人も……カトレアに任せきりですが、快復に向かわれています。
 それに、軍の方はほぼそのままですからね。
 でなくては、私も執務室に入り浸りとはいきませんでしたから、もっと右往左往していたかもしれません」
 城はカトレアが女主人として采配を振るうのは変わらないが、指南役という形でペルスランがセルフィーユ側を補佐している。ヴァレリーは仕事に復帰しているがまだ生後一年に満たない娘から手が放せないし、ペルスランもクリスティーヌ夫人の側仕えが主な仕事であるから、次席女官のフェリシテが両者を繋いでいた。
「そう言えばマルグリット殿……失礼、ポワソン女男爵殿から、やはり武器工廠と製鉄所は国有化すべきではないかと相談がありましたぞ。
 一商会となったラ・クラルテ商会に王軍の警備が常時張り付けられているのは、実際には必要でも、外からは少々優遇のし過ぎに見えるではないかと……。
 建物には王立の看板を掲げ、運営をラ・クラルテ商会に委託するという形式にしてはどうかと仰られていました」
「それなら実質は変わらないか……」
 表看板が変わるだけならそちらの方がマルグリットも仕事がしやすいかと、リシャールはあっさり許可を出した。もっとも、ラ・クラルテ商会は存在そのものがセルフィーユ家の私物のようなものであり、利益が国を回していることは周知の事実として受け入れられている。
「ともかく、一つ一つ懸案を片付けて、国として機能していると胸を張って言えるようにするしかないですね。
 市井は落ち着いてきましたが、我々がしっかりしなくては笑われてしまいます」
「ええ、無論」
 建国後、急に新教徒の移民が急増したということもなく、それ以上に心配していたガリアから旧王弟派閥の没落貴族が大量に流入してくるような事態も起きていない。
 こちらも人手は欲しくとも、新教徒受け入れ可、ガリア旧王弟派歓迎などと大看板を掲げられるはずもなかった。新教徒はクレメンテ任せな部分も多いし、王弟派などはジョゼフ王の引きで建国されたセルフィーユに不審を持っていて当然だ。
 今度は国の見栄などという、自家の見栄などよりももっと厄介な怪物を相手にしていることに気付いたリシャールであった。

 第九月ラドの月もあっと言う間に十日ほどが過ぎ去って、『ドラゴン・デュ・テーレ』は予定通りセルフィーユを後にアルビオンへと旅立った。
 カトレアやマリーを伴う選択肢も当然あったのだが、クリスティーヌ夫人を一人残して行く不安もあったし、旅程が諸事情……主にリシャールの都合にて強行軍となってしまったことから、随行はジャン・マルクやジネットなどいつもの共回りに王政府の官吏数名とラ・クラルテ商会の担当者、それに帰国するアルビオンの大使館員とその家族が加わった程度で、エルバートさえセルフィーユに留まったままである。フネの方も若干人数は増えていたが、先日ガリアのリュティスに向かった時と似たような、定数には到底足りぬ編成となっていた。
 それでも書類仕事を離れたリシャールは、出航後半日ほどを睡眠に宛ててようやく一心地ついたのである。
「どうかな、生け簀の方は?」
「はい、問題ありません」
 下層砲甲板に備え付けられた生け簀は、過日アルビオンへと向かったときと大して変わらない。但し中には、前回の数十倍の魚が詰め込まれていた。
 もちろん、そのままではすぐに息が続かなくなってしまうだろうが、魚には眠りの魔法が使われている。ラ・クラルテ商会で雇われているメイジが思いついたらしい。上手いこと考えたものだ。
 よろしくとはっぱをかけ、続いて前檣楼の頂部を訪ねる。
 こちらには、例の散弾砲が配置されていた。今は備品も檣楼内の弾薬庫に収納され、本体は帆布で覆われている。
 フロラン工場長はその後も小改良を重ねていて、今では若干砲口の形状が変わりその上部には照準用の金属環が取り付けられていた。金属環は二重になっていて、砲尾から覗いて竜騎士の羽根がその輪よりはみ出していれば有効射程、外側の輪は散布界となっている。だが……時にリシャールも訓練に参加して標的を引き受けていたが、訓練で感覚を掴む時には役だっているものの、覗いている砲手の退避や着火下命から発射までの時間差を考えると、咄嗟射撃が主な仕事になる散弾砲にその有効性は甚だ疑問だった。
 試射を見せられたエルバートは自身も竜騎士だが、散弾砲を知らなければ大きな被害を被る可能性もあると、真顔で考え込んでいた。知っていれば直上や直下など別の死角をつけばよいのだが、一番狙いやすい後上方を封じられたのは面倒で、位置取りに手間取ると言う話だった。実際には大した被害を与えられなくとも攻撃を多少躊躇わせる見せ札としては有効らしいと、リシャールは改良を続けるように命じていた。

 ラ・ロシェール経由でロサイスへと到着すると、『国王に対する礼』である二十一発の礼砲に出迎えを受けて随伴にフリゲートをつけられ、『ドラゴン・デュ・テーレ』は入港せずにロンディニウムへと舳先を向けた。
 答砲の数も『アルビオン王国に対する礼』として二十一発きっちりと返されたが、これには主力の……と言っても十門しかないが、十八リーブル主砲と砲煙の見かけだけでも差が出ぬようにと、定量の火薬を詰めた後、砲弾の代わりに砕いた木炭粉を詰めた紙袋を装填した十二リーブル砲や六リーブル砲までが片舷に寄せられていた。独立が決まった夏前から訓練にかこつけて色々試していたとは、余所には話せぬ苦しい内部事情である。
「ふむ、『アンバスケイド』でありますか。
 姉妹艦を随伴艦に指定するとは、憎い演出ですな」
「見慣れている艦型なのに、やはり印象に違いが出るもんですね」
「こちらは一番帆がトリステイン式のものになっていますから、そのせいもありましょう」
「ああ、そう言えば……」
 去年空賊に襲われた際、ガーゴイルに根本から折られていたなとリシャールは頷いた。初回は初回でフネを二隻も買うことになったし、アルビオンを訪ねるごとに事件が起きているなと嘆息する。
「今回は無事に旅程が済めばいいなと、心から願いますよ」
「勝手働きのお墨付きと当該国の私掠認可状を揃えて頂戴できるのならば、どこの空でも暴れてみせますぞ?」
 同じ空賊から逃げるにしても、自衛行為であろうと、牽制に一発放っただけで他国の軍艦がうちの領空で何故大砲を撃ったのかと、後で揉める原因になりかねない。
 今回のように公式訪問で護衛艦までつけられているならともかく、使える戦術と後々の釈明に選択肢が増えるなら、保険代わりにアルビオンとトリステインの両国からだけでも正式な許可を貰っておいてもいいかと、リシャールは前方に位置する『アンバスケイド』を見やった。

 無論、そうそう問題が起きるはずもなく、リシャールの杞憂は無事に外れて『ドラゴン・デュ・テーレ』はロンディニウム近郊のクロイドン軍港へと錨を降ろした。
 渡り板が架けられると同時に軍楽が演奏され、桟橋には儀仗水兵の一隊が並んでいるほどの歓迎振りに目を丸くする。
 特使の時でさえここまでの手配りはなかったが、国王が移動すると相手方にも面倒を掛けてしまうのだなと苦笑するしかない。なるべく国に篭もっていた方が世のためだろうが、これも一つの仕事であった。
「こちらであります、国王陛下、ラ・ラメー閣下」
 第一種正装に略綬を幾つも着けた老提督はリシャールに付き従うラ・ラメーにも気を使っているが、彼の名はアルビオンでも知られているし今や一国の空海軍長官である。
 その提督の先導で案内された休憩室では、ウェールズが『貴族の』正装でセルフィーユの一行を迎えた。
「……えーっと、ウェセックス伯爵閣下?」
「……ああ、今はね。
 おほん。
 遠路ようこそいらっしゃいました、リシャール陛下。
 自分がハヴィランド宮までご案内致します」
「はい、よろしくお願いします」
 小国と大国の国王では車列や護衛の数にある程度差をつけた出迎えが必要となるところを、お忍びながら次期国王が港まで足を運ぶことによって最上級の歓迎振りを示すという、ある意味リシャールがよく使う方法によく似た手だ。……いや、単にウェールズが大仰な迎えや儀式が嫌いなリシャールに気を利かせて自ら来てくれただけかもしれないが、理にも適っているし儀礼上も文句無く『いい扱い』と言えよう。
 ラ・ラメーは軍港に残して後事を任せ、リシャールはウェールズと共に馬車へと乗った。後続の車には、もちろんジネットやジャン・マルクらが収まっている。
「どうだい、国王陛下の暮らしぶりは?」
「侯爵より忙しいのは間違いないかな」
「だろうなあ」
 くすくすと笑う彼も摂政皇太子で、他人事じゃないのにとリシャールは肩をすくめて見せた。だが今でさえ、彼はリシャールの何倍何十倍もの苦労を背負っているに違いない。
「でも、今苦労しておけば、後で楽になることだけは間違いないと信じているよ。
 ……そうでないと、皆が困るし僕も困る」
「『苦と楽は共にあり、凶相は吉相の裏の顔である』、だったかな?」
「それはアルビオンの諺かい?」
「ああ、昔の詩人の日記に書いてあった一文だ」
「なるほど。
 上手いこと言うもんだなあ」
 禍福はあざなえる縄の如し、塞翁が馬。
 似たような意味の文言はどこにでもあるのだなと頷く。
 ……苦労もいいが、そろそろ楽がしたいところであった。

 ハヴィランド宮では、文武百官が居並ぶ大広間でアルビオン国王ジェームズ一世による正式な歓迎の言葉を受け、そのまま奥手の応接間に案内された。ウェールズさえ同行が許されず、また後ほどと二人の王を見送っている。
 アンリエッタの立太子式で催された夜会で挨拶を述べてよりわずか一年、リシャールの印象では多少老け込んだ様子に見えるジェームズ王であった。半ば引退を決め込んでいて、公式の行事もウェールズに任せることが多くなったと聞いている。
「楽になされよ」
「はい、ありがとうございます」
 差し向かいで話をするのは、前回のロンディニウム訪問以来である。老王の表情が幾分柔らかい様子であるのは、こちらが王位を得たからか否か。リシャールでは判断がつかない。
「少し昔話をしようと思うのだが、よいか?」
「謹んで聞かせていただきます」
 同じ王でも、このお方はジョゼフ王ほどの無茶は言わないだろう。
 リシャールは何が語られるのかと思案しつつ、神妙に頷いた。




←PREV INDEX NEXT→