ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
挿話その十一「競売の行く末」




『セルフィーユ侯爵は世を騒がせた責任に思うところがあって、陞爵のその日、アンリエッタ様に爵位と領地を返上して出奔したいと願い出たそうだ』
『アンリエッタ王太女殿下は数日悩まれてからこれをお認めになったが、侯爵の忠義と功績を改めて賞賛され、爵位と領地を安堵する決断を下されたと言う』
『王太女殿下は慈悲と寛容をお示しになり、侯爵はセルフィーユ侯国の建国を許される予定だ』

 このような噂がトリスタニア市内に流れていると聞かされた高等法院長リッシュモンは、法院の執務室で重々しく頷いて見せた。法院は市井の風紀なども取り締まるから、他愛のない噂話でも報告として書式を調えられ、リッシュモンの手元に届く仕組みが出来上がっている。
「セルフィーユの独立そのものとセルフィーユ侯爵の宰相就任については未だ噂も紛糾しておりますが、侯爵の潔さにはその意気や良しとする声も多く、同時に王太女殿下のご英断には感銘を覚えるとする評判も目立っております」
「うむ、了解した。
 統制は不用だが、この噂は重点的に集めておくように」
 聞いていた予定の通りなら、セルフィーユ独立の公表は今朝であったはずだ。
 もちろん彼は、噂そのものが虚偽でありながら、真実として扱われていることも知っていた。
 何しろセルフィーユ侯爵の出奔には、彼も深く関わっていたのだから。



 昨年夏、アカデミーのゴンドラン議長を通じてリシャール・ド・セルフィーユの中央からの排除を依頼されて以来、リッシュモンは静かに動き回っていた。
 まずは基礎固めとして、標的の背景に探りを入れている。
 主な後ろ盾にはラ・ヴァリエール公爵ら親族を中心とする一派、その後押しとしてトリステイン王家、現宰相マザリーニが控え、利害の対立がなければ外部勢力としてアルビオンのテューダー王家さえ同調しかねない。確かにこれは中央を押さえるリュゼ公爵ら貴族院主流派と言えども簡単に手が出せぬと、リッシュモンも得心した。しかし世間が荒れては他の仕事も成し難くなるので暗殺などは最初から慮外、ラ・ヴァリエールを本気にさせないうちにずるずると泥沼に踏み込ませるが上策と仕掛けを組んでいった。
 少々拙かったのはその年の春、リュゼ公爵らが勝負に一度失敗していたことだ。リッシュモンにはひとしきり失笑を与えてくれたが、その結果を大きく変えたマリアンヌ王后による仲裁は、仕掛けに影響を与えることになった。下手にセルフィーユ伯爵に手を出せば、それまでならば『亡き国王よりお預かりしていた王権の一部』を行使する高等法院が引き受けて、院長リッシュモンが都合の良い解釈で貴族同士のもめ事とその調停として預かれば楽に結果を導けたところが、マリアンヌのみならず、夏に立太子した王権本来の持ち主に最も近い位置にいるアンリエッタ王太女が出しゃばってくる可能性が高い。いずれは手放さねばならないにしても、リッシュモン自身には既得権の侵害と言い換えてもいい危機である。その他の『お仕事』にも影響が出かねなかった。

『リュゼ公爵、王太女殿下の即位を僅かでも引き延ばすことは、貴殿ら貴族院のお歴々にとっても非常に重要ですぞ?』
『うむ、貴殿の説明は一々納得の行くものであったが、如何致すのだ、リッシュモン院長。
 それに、肝心のセルフィーユ伯爵はどうするのだ?』
『まずは彼の者を持ち上げ、宰相へと推す流れを作りましょう。
 なに、不自然な事ではありませぬ。
 鳥の骨が煙たいのは周知の事実、ラ・ヴァリエール公爵が喧伝する彼の者の優秀さとやらに、そのまま乗ってやればよろしい。
 あちらは将来の地歩固めにも力を入れているところ、ですがその地歩が固まらぬ間に押し込めばこれ一つの不思議、あちらは慌てて引きましょう』
『ほう?』
『この一手が面白いところは、成功すればセルフィーユ伯爵は一旦表舞台から退場しますが、失敗しても即位前で力無き王女を背負ったお飾りの宰相が誕生してしまうところですな。
 ……成功でも失敗でも両方に利得がございますが、ご依頼はセルフィーユ伯爵の退場でありますから、まあ、成功するように仕掛けは組んでございます』
『流石はリッシュモン院長、隙がないな』

 リッシュモンはセルフィーユ伯爵に対し、自らを局外に起きつつ彼の後ろ盾であるラ・ヴァリエール公爵の一派と依頼人リュゼ公爵ら貴族院主流派の対立を利用して、宰相就任への道筋を煽るのに半年近くを掛けていた。
 最後の仕上げにと、実力と実績は揺るぎ無いが貴族社会だけでなく市井でさえも不人気極まりないマザリーニの後がまにセルフィーユ伯爵をと世論を盛り上げ、時間がないと錯覚させたところに王女と当の宰相に種を蒔いてひと月余り、ほぼここまでは予定通りに計略は進んでいる。
 唯一の誤算は、市井でのアンリエッタの人気が予想以上であったこと、同時にマザリーニの不人気振りも予想以上であったことだ。息の掛かった新聞社に煽りを命じたところ、高等法院の権限でも統制することは難しいと思わせるほど市中は噂で持ちきりになり、慌てて沈静化させる方向で記事を組ませたほどである。これではラ・ヴァリエールと変わらぬなとリッシュモンは自らを嘲り、気を引き締めた。

 そして先月末、ニューイの月ユルの曜日にセルフィーユ伯爵が侯爵となることが発表されると、セルフィーユ独立に向けての下交渉がアンリエッタ主導の元で行われはじめた。
 王太女や鳥の骨より聞かされたところでは、世論のままに登用すればセルフィーユ伯爵は貴族院主流派の妨害でお飾りとなり兼ねず、この混乱を収拾する為に彼を局外へと置きたいが、単に排除すれば将来こちらが使いたいときに使えぬ上に、ラ・ヴァリエール閥の過剰な反応を引き出してしまいかねない。そこで貴族院主流派にはセルフィーユ伯爵の退場で矛を収めさせ、ラ・ヴァリエールには彼の名誉と地位を守ったまま出奔を許すことで手打ちにさせる。後は即位によって王権がアンリエッタの手に渡ってから、外交の一環としてトリステインへ戻すというリッシュモンの策を良しとしたようであった。
 彼も『ラ・ヴァリエール寄り』の一員として、王太女直々の指名でその交渉役に駆り出されている。もちろん、自分から相手を選んで苦心しているように見せかけつつ、貴殿は予定通りいついつ頃に条件付きで賛成、貴公はしばらく後に棄権を表明と、とても外には聞かせられぬ内容で『説得』に回った。

『しかしリッシュモン院長、国から追い出すのはよいとして、独立国の建国など出来るものなのかね?』
『まあ、簡単ではございませぬな。
 ですが、皆様が賛成に回られれば、それほど難しくはありませぬとも。
 第一名前は立派ですが、首輪に付けた鎖は衛星国とはとても呼べぬほど、実質は諸侯領のままですからな。……同じ条件をクルデンホルフに飲ませようとすれば、間違いなく戦になるほどです。
 それに、知らぬ者はトリステインに再併合出来ると思えばこそ賛成に回っておりますが、聡い方々はトリステインへと戻れぬと知るからこそ、賛成に回られておられますれば。
 ですが公爵、くれぐれもあなたは賛成されてはいけませぬぞ。
 あなたには最後まで独立を反対し先見の明を示したという実績を、数年の後に示して戴かねばなりませぬからな』
『わかっておる、わかっておる。
 ……しかしその再併合、本当に阻止は出来ようかな?
 王政府はともかく、鳥の骨やラ・ヴァリエールとて馬鹿ではあるまい?』
『ははは、流石に私めも理解しておりますぞ。
 ですがセルフィーユは、トリステインには戻れませぬ』

 これで国内はほぼリッシュモンの思惑通りの展開となったし、結果的にはリュゼ公爵の望んだセルフィーユ侯爵の退場も本決まりとなっていた。後はそれを恒久的なものとするか、あるいはセルフィーユそのものを消してしまえばいい。
 リッシュモンはアルビオン産の蒸留酒で、ここまでは上々と祝杯をあげた。
 仕込みの最後は、アンリエッタの即位後に発動する予定であった。
 今度は本来なら無用の心配となっている筈の、外圧を利用するのだ。ロマリアやゲルマニア、あるいはテューダー王家打倒後にレコン・キスタ改め仮称『神聖アルビオン共和国』となるアルビオンには、既にセルフィーユの競売を持ちかけていた。
 ロマリアならば新教徒問題の封じ込めに遠隔地の独立国は都合が良かったし、レコン・キスタには大陸への第一歩となる策源地として二国に挟まれた立地は悪くない。当該地に隣接するゲルマニアは、言うまでもなく純粋に領土としてセルフィーユを欲しがるだろう。ガリアには親しい『お友達』がいないこともあって売り込みが出来ていなかったが、レコン・キスタを通して向こうから話を持ちかけられていて、今のところは一番食いつきがよいほどだ。
 あとはトリステインが引き戻そうとしても、競売期間中は各国の利害を上手く煽り、今とは逆にセルフィーユ侯爵が頭を下げられぬ理由か、女王がそれを受け取れぬ理由を作ってやればいい。
 競売の締め切りまでには、四、五年ほどを余している。リッシュモンはその間、セルフィーユの実効支配に必要な情報を各国に流して賄賂を受け取り、時には工作資金を渡されて世論を煽ったり国内要人との繋ぎをつけたりすることで利益を得るのだ。
 トリステインの裏の裏を仕切って数十年、これは信用と実績ある自分でなくては統制できぬ仕事なのである。

『この様に手は打ってありますが、私めも流石にどの国が一番高い値を付けるかまでは予想が付きませぬなあ』
『ふむ……』
『ですが、少なくともゲルマニアは降りぬでしょうし、ガリアも静かに動いております。
 誰も買わぬということはありませんでしょう。
 何せ、当のトリステインが売りに出しておるのですから。
 公爵、ここはのんびりと仕上げをお待ちあれ』

 しかし、その予定は少しだけ修正をされてしまった。
 王太女と鳥の骨が各国へと根回しする前にこちらから買い手を釣り上げねばならないと、リッシュモンはセルフィーユ侯爵の陞爵直後、貴族院が内密に使う風竜のみで構成された考え得る限り一番早い伝令網を借りてまで、改めて諸外国の競売相手へとセルフィーユ侯爵出奔とセルフィーユ侯国成立の一報を流していた。売り手は自分と常に印象を付けておかねば、得られる利益が雲散霧消してしまう。
 だが、後はのらりくらりと値をつり上げようと高を括っていたところ、各国の反応は恐ろしく早かった上に過剰だったのである。
 一番最初はゲルマニアだった。トリステイン国内に噂が満ちるよりも早く、領土欲を隠そうともしない皇帝によって『我が国はセルフィーユ侯国の成立を歓迎する』と発表があった。帝国政府の見解ではなく皇帝の言葉であるところが、正に我が唾をつけたぞと言わんばかりである。
 それに続いたのがロマリアで、ゲルマニアに遅れることわずかに数日、セルフィーユ司教区の大司教区格上げの知らせがトリステインに届けられた。大司教区では当然ながらトリステイン大司教区の下には置かれず、トリステインおよびセルフィーユ両大司教の上に管区長が設置される気配もなかったので、ロマリア宗教庁が旗色を露わにしたと受け取れる。
 アルビオンからも静かな反応はあった。貴族派のレコン・キスタは本業の準備に忙しいようで、しばらくは戦力の拡充に努めているので貴殿も賛同者の裾野を広げて貰いたいと、使者が工作資金を置いて帰っている。王党派は沈黙を守っていたが、王政府間でやり取りが交わされアンリエッタの主導であることが確認できると、セルフィーユにある大使館分館を領事館に格上げしたいと提案してきた。
 トリスタニアでも、幾らか内容が知れ渡っている社交界はそうでもなかったが、世論は大きな波となってうねった。トリステインが安全のためにセルフィーユを売ったとするものもあれば、逆にセルフィーユが裏切ったとするものもある。他国につけこまれたのだと断じる声もあれば、ラ・ヴァリエールも独立するのではないかと憂う者さえいた。

『アルビオンの王党派は、黙り込むことで我が国の判断を支持したようですな』
『ゲルマニアは露骨に煽ってきたし、ロマリアも大司教区への格上げと、ここまで見れば五年後が楽しみであるな。
 レコン・キスタは準備中で……ふむ、ガリアはどうしたのであろうかな?』
『ガリアは……少々読みにくいところはあれど、待っておるのではないかと』
『待つ?』
『左様。
 ゲルマニアとロマリアが争っておりますうちは、少なくともセルフィーユの状態はそのまま宙ぶらりに保たれますからな。
 我らのように、五年待って後から成果を得る気でしょう』
『貴殿の言には一理あるな』
『もしくは、まったく別の利用法……例えば、セルフィーユを譲ることで他国に外交上の無理を押し通すなど、飛び地として領土にする以外にも使える要素はございます。
 乗り気であることだけは間違いないのですが、さて……』
『ふむ、元からないものなら、そのようにも使えるか』

 速度にこそ驚かされたが、ここまでは、リッシュモンも予測していた内容である。今頃は王太女の意を受けた外務卿や宰相が書簡攻勢に出ているはずだし、諸外国も裏と表を使い分けながら自国の利益に繋げようとしていることだろう。
 一番気になるのは、レコン・キスタの使いが口にしていたガリアの動向であった。こちらの計画に影響はなく、結果が多少変わっても気にはするなとは聞いている。だがここまでガリアは後手に回っており、もしかすると五年後、セルフィーユの再併合を待っているのではないかとリッシュモンには思えた。さんざん他国が引っかき回し、勝負がついて落ち着いた頃に全てをかっさらっていく気であろうか。焦る必要のない大国らしい対応と思えば、納得も行く。
 それにリュゼ公爵には告げなかったが、このガリアの対応は、もしかすると使者の口にしていた『屋根に登らせたセルフィーユ伯爵の足下から最後の梯子を外すとき、同じく屋根に登らせておきたい相手がいる』という一節につながるのかもしれないとも思っていた。
 その相手の想像はつきかねたが、大方まともな理由で追い落とせぬ、リッシュモンの同業者が煙たく思っている政敵あたりだろうか。王弟派の生き残りならば、王弟派というそれだけの理由で裁けるからそちらの線は薄い。それにガリア国内とは限らなかった。幾らか思案を巡らせれば……例えば、政治巧者として諸外国に名を知られるマザリーニなど、ガリアにも当然五月蠅かろうし押しつけるには丁度よいとも思えてくる。
 アルビオンは降りたがゲルマニアとロマリアは互いに二枚目の札を切ろうとしていたし、さて、五年後の締め切り時までにガリアはどのような札を切ってくるだろうかと、リッシュモンはチェスの対局を楽しむような気分でそれを待つことに決めた。
 その矢先だった。
 そう時を置かず、ガリアは動いたのだ。
 しかもリッシュモンが考えつかなかった、いや、彼では到底仕込みが不可能な驚くべき一手を以て、ガリアはセルフィーユの競売に入札してきたのである。
 その日、トリステインの中央は王家、王政府、貴族院、リッシュモンも含めて皆が皆、揃って驚かされることになった。やってきた急使とやらはガリアの王政府でも重鎮中の重鎮、外務卿アキテーヌ公爵。平素は間違っても使者に出されるような格の人物ではない。
 その彼はガリア国王ジョゼフ一世からの親書をアンリエッタに奉じると、王命により急ぎ次の国に向かわねばなりませぬので歓待無用と口にして、そのまま両用艦隊のフリゲートに乗って次の目的地アルビオンへと向かった。

『リッシュモン院長、これはどうしたことなのだ!?
 ガリアは時を待つのではなかったのかね?』
『私めにもわかりかねますが……少なくとも、ガリアの競売相手はあの無能王の興味を惹き、動かせたということでしょうな。
 しかしこれはまた、随分と値をつり上げたものです』
『うむ?』
『今はまだ、ゲルマニアとロマリアは引くに引けぬ、ということであります。
 札を切ったばかりで勝負から下りれば、面子に関わりましょう。
 あとは……王太女殿下と鳥の骨とセルフィーユ侯爵に幸多かれ、というところですな』

 直後、王城ではリッシュモンも含めた一部の重臣や政府の高官が集められ、非公式な会議の席上でその中身が開陳されていた。大国ガリアをして外務卿を使いっ走り同然に扱うだけの内容と、リッシュモンも頷かざるを得なかった。
 ジョゼフ王に曰く、トリステインの政情不安、アルビオンの内乱、ガリアとゲルマニアは国境紛争と、各国それぞれ悩み多きことであろう。ここは一つハルケギニアでは久しく開かれていなかった『諸国会議』を開催し、各国の抱える問題について互いに腹を割って話し合おうではないか。ついては急なことで恐縮だが、こちらで諸準備は調えた故、各国の貴顕は来る翌月、アンスールの月エオローの週、ヴェルサルテイル宮を訪ねて貰いたい。
 ……似たような会議は二年前、ラグドリアン湖畔で開かれたトリステイン主催の園遊会でも行われていたが、確かに現在では各国を取り巻く状況も幾分変化がある。純粋に外交的な意味も見いだせるところにこの一手の奥深さがあるとリッシュモンは嘆息し、果たしてガリアはセルフィーユの競売に乗っただけなのか、それとも競売はあくまでもついでなのか図りかねていた。

 しばらくして、レコン・キスタの使者が『ガリアのお友達からの御礼です』と箔押しの紙切れを置いていったことで、リッシュモンはこの競売が成立したことを悟った。手渡されたのは、クルデンホルフ系列の銀行が発行者となっている小切手である。どうやらこの仕事は予定よりも早く自分の手を離れ、五年を待たず終わりが近づいているようだと、リッシュモンは難しい顔をした。
 なるほど、いつぞや使者が告げた通りであった。リッシュモンが立てた計画のままに、依頼主の要望通りセルフィーユ侯はトリステイン政界から排除され、その封じ込めにも成功の目が見えている。確かに結果は少々変わりそうだが、こちらの手札や行動に影響はなく手元の金貨も増えていた。
 しかしリッシュモンには、今ひとつ釈然としない部分もあった。ガリアの競売相手は、騎士人形を使った兵隊ごっこと女遊びにしか興味を示さぬと噂される、あの無能王を動かしてしまうほどの策謀家なのだ。乗せられたのではないか、体よく利用されたのではないかという気分が残った。
 五年寝かせて有耶無耶にすべき国内のこともそれ以外も、『諸国会議』なる大きな行事の提案によって早回しを余儀なくされていたから尚更だ。おかげでレコン・キスタにはガリアの『お友達』とやらを紹介されただけでただ働きをさせられた部分も多かったし、セルフィーユの値をつり上げる間に受け取れると期待された各国からの土産物も諦めることになりそうである。
 約束は過不足無く守られ計画もほぼ成功だが、それ以外は敗北に近かった。今回、勝利をかっさらわれたのは自分だが、次の手合わせではガリアの『お友達』にもこの苦い気分を味わって貰わねばならないだろう。
 しばらく先にはレコン・キスタも眠りから覚めようし、その時こそ、完全なる勝利を手にせねばと、リッシュモンは暗い決意を固めた。



 アンスールの月の第二週にあたるヘイムダルの週。
 リッシュモンは王城内にある練兵場に特設された船着き場で、百合の紋章を帆にあしらった戦列艦を見送っていた。
 今頃はセルフィーユ侯爵も領地を出た頃だろうか。彼は諸国会議へと招待されているわけではないが、当事者の一人として現地入りを命じられていた。
「さて、諸国会議はどうなりますかのう……」
「かの無能王のこと、出迎えと見送りは壮大ながら、中身がないやもしれませんな」
「フン、ゲルマニアの皇帝閣下とせいぜい潰しあって貰いたいものです」
 マリアンヌ王后、デムリ財務卿をはじめとする王政府の閣僚、リュゼ公爵を筆頭に見慣れた貴族院議員の面々、王軍の高官らと並んで、アンリエッタ王太女、宰相マザリーニ、ラ・ゲール外務卿らを乗せた御召艦『ラ・レアル・ド・トリステイン』がガリアへと出発するのを見送りながら、リッシュモンは今後について考え込んだ。
 御召艦は優雅に高度を上げ、護衛艦ともども小さくなっていく。
 船着き場で近づいてみれば見上げるほど大きな戦列艦も、空を背景にしている時は、随分ちっぽけに思える。
 ……ガリアの競売相手は、ガリアにいたからこそ無能王を動かして諸国会議などという驚嘆すべき一手を指せた。
 対して自分はどうか?
 知恵と先読みが幾ら優れていても、所詮は『小国』の策謀家であった。このような枷をつけられていては、一諸侯を奇手で追いつめるのがせいぜいである。
「自らに策を施すもまた、一つの策……」
これは自分もセルフィーユ侯を見習って、地位や名声を保持したまま他国に移る算段をつけておくのも悪くないかと、リッシュモンは青空を見上げる。
 広い空だ。
 トリステインは己の欲望を満たすには小さすぎると、今更ながらに気付いた彼は……くつくつと笑った。




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