ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
挿話その十二「諸国会議の勝者」




 ふむ、流石はガリアの王城ヴェルサルテイル宮。王の居城グラン・トロワだけ取っても、うちのハヴィランド宮の三倍は大きいな。

 会議の初日。
 ウェールズは多少の緊張をにこやかな表情の裏に隠しながら、ガリア騎士に先導され会議室に指定された城内でも一、二を競うほど豪華な一室へと入室した。
 アンリエッタと並び、若輩であることを意識しての早い議場入りである。
 ウェールズは父王ジェームズ一世の代理として、諸国会議に於ける全権を王国から承認されていた。随員として外務卿を含む幾人かの官僚を連れてきているが、基本的にはウェールズが全ての采配を預かり、国益の確保を主導する。年に似合わぬ重責を負わされているわけだが、次期国王の『練習』には丁度良い。

「アルビオン王国皇太子、ウェールズ殿下御入来!」

 ウェールズは呼び出しに続いて入室し、案内された円卓の一席に座した。卓の光沢も置かれた酒杯もウェールズの目から見てさえ最高級品で、うちにも同じくらいのものはあっただろうかと、僅かに思案する。
 先に席に着いていたロマリア代表であろう聖職者と、ゲルマニアの皇帝閣下に軽く会釈を交わすと、ウェールズは腕を組んで黙り込んだ。

「トリステイン王国王太女、アンリエッタ殿下御入来!」

 声を交わしたくなる感情を押さえ込み、小さく視線を交わす。やはり彼女も黙って席に着いた。宰相マザリーニも連れてきているはずだが、今日のところは挨拶だけと見たのか彼女一人での出席であった。
 アルビオン、トリステイン、ガリアの三国では、国力はともかく席次上の上下はないが、この場ではウェールズが一番下になる。
 代理人を送ってきたロマリア、国主への敬称が殿下ですらないゲルマニアはともかく、ウェールズとアンリエッタは共に次期国王だがウェールズの父王は存命であり、同じ太子でもアンリエッタは実質的国主として扱われていた。対してガリアは本物の国王が出席するので、二人よりも当然格上となる。これが同じ国王なら、在位年数で席次が入れ代わった。

「ガリア王国国王、ジョゼフ一世陛下御入来!」

 青髭の美丈夫と直接顔を会わせるのは、これで三度目か四度目だった。
 魔法の使えない『無能』者。見てくれはいいが、どうにもその場限りの感情にまかせた行動が目立つひととなり。その割に国政に揺らぎはなく、長引くかと思われた王弟派との争いは一刀のもとに斬って捨て、内乱に悩まされている様子はない。
 噂通りの暗君と言ってしまっていいのか、ウェールズは判断を保留していた。小国ならば暗君であるが故に権威と国が維持されることもあろうが、ガリアほどの大国がそれを出来るとは思えないのだ。

「やあ諸君!
 遠路遙々ガリアへようこそ!」

 闊達な声に大仰な仕草で、ジョゼフ王は出席者を見回して席に着いた。
 まあ、今日のところは顔合わせと議題の確認と言ったあたりだろう。
 ウェールズも会議用の笑顔を作って、静かに議場を見渡した。

 会議の初日、二日目はほぼ顔合わせに終始し、三日目から本格的な会議と相成った。
 きっちりと組まれた夜会や晩餐会に、アンリエッタと個人的に合う暇もない。ウェールズは、内心の苛つきを押し隠しながら会議に出ていた。
 今日の議題はこの会議最大の議題であるガリアとゲルマニアの国境問題で、ウェールズとアンリエッタは外様に近い。だが話し合われる内容そのものは、局外だからこそ興味を惹かれる部分もある。
 大陸に領土がなく陸続きの国境線を持たないアルビオンとしてはこの争いがどの程度まで飛び火するのかが問題で、ウェールズは両者の主張と立ち位置、そして情報を把握して、結果を予想できるか否かを自らの課題と任じていた。
 だから話題を振られたからと、慌てることはない。
「ふむ、ウェールズ王子」
「はい、ジョゼフ陛下?」
「君なら落としどころはどこにするかね?
 アルブレヒト君はこの線を主張しているが、余は承伏しかねている」
 天下のゲルマニア皇帝も、この王の手にかかればアルブレヒト『君』か。
 人柄の好きずきはともかく、ジョゼフは馬鹿なのか天才か図りかねる程大らかで自由奔放に過ぎた。ゲルマニア皇帝がむすっとしている。
「お二方とも、もっともな仰りようですからね。
 他で補いを着けるぐらいしか思いつきません。
 ……確か、『ヴァルトブルク方式』なんていうものもありましたね?」
「ああ、あれか」
 更に機嫌を低下させたアルブレヒトだが、構うことはない。
 彼が得意な小国を段階的に領土に組み入れる国土拡張方法として、ヴァルトブルク方式はその名を世間に知られていた。
「両国とも、余裕がおありだからこその問題でありましょう。
 一つは押し通す、一つは譲るで無事に矛を収めて戴ければ、アルビオンとしてはありがたく思います」
 領土問題に互いが譲り合う。
 自国の安定まで問題を先送りできればいいアルビオンとしては、無難すぎる答えだった。
 後々両方に不満が募る原因とも成りかねないが、両国……特にゲルマニアは領土欲はあれど現時点では大きな戦争を望んでいない。内国拡充に回す余力を吸い取られるからだ。
 申し訳ないが、巻き込まれる周辺の小国にまで気を配れるほど、アルビオンに余力はなかった。
「ふむ、率直だな」
「恐れ入ります」
「だが、互いに奇策を弄して問題を複雑化するよりは建設的か。
 では我がガリアはブルガウの領有を主張し、代わりにアイヒシュテット、エルヴァンゲンの件には目を瞑ろう。
 検討してみるかね、アルブレヒト君?」
 ブルガウは問題となっている両国国境部の小都市、アイヒシュテット、エルヴァンゲンは共にゲルマニア南部と国境を接する小国でウェールズも名前ぐらいしかしらないが、ジョゼフの口振りからすればゲルマニアの手が伸びているのだろう。
 いや、そのことを知っているジョゼフの方が、手が長いのか耳がいいのか。
 アルブレヒトは幾らか反論を重ね、もう一国についてヴァルトブルク方式の黙認を主張して、ジョゼフがそれを了承したことでこの日はお開きとなった。

 万事この調子で会議は続けられた。
 翌日は前日よりも小規模ながらガリアとロマリアの国境問題、その翌日はロマリアの貧困層支援についてと、信じられぬ程早く話し合いは進んでいく。
 幸いガリアの主導ではあっても、それにしてはジョゼフ王の主張には無理がない。
 しかし……よく調べてあるのだろうが、それだけとも思えなかった。
 ハルケギニアの安定は、確かにウェールズも望むところだ。アンリエッタも、正式な即位前に国内外が不安定では困るだろう。ゲルマニアはもう少し後ならともかく、今は静かに国力を底上げしている最中だ。ロマリアは……恐らく余裕がないし、そもそも宗教的体質が邪魔をしているのか、聖戦はともかく領土拡張戦争には向いていない。
 では、ガリアがハルケギニアの安定を望むのは何故か?
 一番それらしい答えは、ハルケギニア一の大国として揺らぎ無い現在、始祖の血や遺志を継ぐ他の三国をだしに使った台頭著しいゲルマニアへの全方位からの押さえ込みなのだが、果たしてそれが正解かと言えば疑問も残る。
 その疑問は翌日、アルビオンの内乱が議題に上がった折、要請があり次第各国は連合軍を派遣して乱の平定にあたると、不思議なほどに当たり前な、それでいて内実の伴わないジョゼフの提案が各国に了承されたことでより深まった。

 会議も数日、ようやく時間が出来たウェールズは、公務とも私事ともつかないアンリエッタからの訪問を受けていた。
 彼女は宰相マザリーニを伴っていたが、会議の雲行きがこの状況では文句の一つも言えないのが辛いところだ。
 隣国の宰相だがアルビオンが最も信頼する同盟国トリステインの宰相であり、諸国会議でも基本的に両国は協調路線を取っている。互いの国益に反せぬならば、少なくともまともな答えが返ってくる相手だった。それにこの諸国会議でウェールズを謀っても、トリステインに益はない。
「宰相殿、貴殿はジョゼフ王の狙いを読み解かれたか?」
「いえ、未だそこには及んでおりませぬ。
 しかし数年であれハルケギニアが平穏たれば、我が国も貴国も一息着けましょう。
 そこにつけ込まれているのは……まあ、間違いありますまい」
「ふむ……」
「宰相、ハルケギニアが平和だと、トリステインやアルビオンはどの様な不利益を受けるのかしら?」
「困ったことに、トリステインとアルビオンの両国は、まともな国家経営が出来ている状態ではありませぬ。むしろこちらから、時間が欲しいと言い出したいところなのです。
 ですが、ガリアは両国が落ち着く間に更に国力を伸ばしましょうな。ゲルマニアも然り」
「国力差は、元より如何ともし難いが……。
 こればかりは議場で打つ手でもないな」
「そうですわね……」
「なに、悪いことばかりではありませぬ。
 両国ともに国を落ち着かせなくては、次の一手も打ちようがないのですから。
 せっかく時間をくれるというのであれば、それを有効に使いましょうぞ。
 ……如何ですかな、ウェールズ殿下?」
「……まったく、宰相殿には空の上のことも筒抜けのようだな」
 ウェールズはやれやれとソファに深く沈み込んだ。艦隊の再建以外にも問題は多い。アルビオンの国力そのものが落ちていることが、特に深刻だった。
 この分ではウェールズやアンリエッタの知らぬところで父王ジェームズとマザリーニがやり取りをしていても不思議はないが、それが国を守るための一手に繋がるのであればこちらは何も言えない。まだまだ一人前扱いが遠いのだと、自らを叱咤すべきだった。
「でも、ジョゼフ王は本当に何を考えていらっしゃるのかしらね?
 ゲルマニアには厳しかったけれど、アルビオンにはあまりご興味がなかったみたい」
「そうだったね」
「距離の問題、だけではありますまい。
 内乱が落ち着きつつあることは私も存じておりますから……案外、勝ったアルビオンからは興味が薄れたのではないかと。
 彼の王は、兵隊人形を使った戦争ごっこを好むと世に知られておりますな?」
「うむ。
 即位直後、この王城の奥深くに数々の古戦場を模した巨大な箱庭模型を作らせたとか。
 ……近年、アルビオンの模型も作らせたかな?」
「かもしれませぬな。
 今頃は……そうですな、ゲルマニアとの国境付近の模型に入れ代わっておるやも知れませぬが?」
 次の戦場はそちらと、マザリーニは読んでいるのかも知れない。ジョゼフはゲルマニアに対して、かなり強い態度で会議に臨んでいた。
 それに諸国会議の席上で平和裏に話がまとまったとは言っても、所詮は口約束である。そこに絶対はない。
「うちとしては放置して貰うのが一番なんだがな……」
「ついでにトリステインも見逃してくれればいいのだけど……。
 宰相、その可能性はあるかしら?」
「望みは薄いかと。
 ガリアは……ゲルマニアに譲歩した先の国境問題とは反対に、あちら側に着くこともあり得ますな」
「明日はトリステインが主役、セルフィーユ独立の件だったな。
 そう言えば、リシャール君は元気かな?」
 セルフィーユ侯リシャール。
 アンリエッタと同い年の若者で、父王に曰く『少々脇は甘いが、領主としてはおそらく傑物』。
 ウェールズの前では人好きのする笑顔と時折奇抜な発想を見せる以外は普通の少年だが、よくぞあの時大使館の分館を置く決断をしたと自画自賛したくなるほど、セルフィーユの発展振りは目覚ましい。
 後々の再併合の話もその内幕も聞いている。負債も返せたとは言えないし、アンリエッタが頭を痛めていないのであれば、いっそ拍手喝采を送ってもいいほどだった。
「たぶん……退屈しているんじゃないかしら?」
「侯爵はリュティスの宿から一歩も出ず、じっと待機されておりますからな」
「それはまた……。
 まあ、仕方のないことか」
 主君が会議で汗しているのに、当事者が出歩いてガリア観光では外聞も悪かろう。
 王城に招かれて緊張を強いられたまま待たされるよりは、自由な時間に昼寝が出来そうな分多少はましかもしれないが、どちらにしてもご苦労なことだと、ウェールズは少年領主の顔を思い浮かべた。
「明日はこちらに呼んであるの。
 待たされる場所が変わるだけかも知れないけれど……」
「横槍を防ぐ手だては用意しております。
 ……奇策だけは警戒しなくてはなりませぬが」
「アンリエッタ、宰相殿。
 私が聞いておくべき事はあるかな?
 アルビオンとトリステインが困らぬ限り、私はリシャール君の味方でいるつもりなのだ」
「ありがとう、ウェールズさま」
「それはお心強うございますな」
 ウェールズはトリステインとセルフィーユについて、新たな展開と幾らかの対応策を聞かされた。
 再併合の件は知られていても口に出せないが、最低限ゲルマニアの手には渡すことのないよう札を切る。場合によっては再併合を諦めてでも、ゲルマニアの影響力をなるべく排除すること。その他の国については、少々の難問は距離の問題もあって効果を及ぼさず、トリステインの影響力は維持できるものと思われた。
「ふむ、別段反対する理由も疑問に思うような内容もないかな。
 トリステインの良いように」
 ゲルマニアがどう思うかは別にして、流石によく練られている。
 さて、明日は楽をさせて貰えるといいのだが。
 ウェールズはしばし明日の会議の様子を想像し、小さく聖印を切って見せた。

 だが始祖への祈りはウェールズの不信心故かあまり通じていなかったようで、会議は思わぬ方向へと発展してしまった。
 セルフィーユの独立はすんなりと承認されたが、その先が少々おかしな方向に走り始めたのである。
 トリステイン側の、これは国内問題の延長、宗主国として完全な庇護下に置き諸侯領が名目上の独立国と名を変えるのみとの主張に対し、案の定ゲルマニアから横槍が入った。吹けば飛ぶような小国では独立に不安もあろう、国境を接する我が国も一枚噛めば安心だぞ、というわけである。
 セルフィーユの一件は再併合を予定した独立で領主の密約も取れているとは、知られていても主張のできぬトリステインの苦しいところであった。無論、ウェールズも余計な口は挟めない。
 半ば予想通り、ゲルマニア皇帝の主張は領土欲を隠さぬものだったが、この横槍も無論予想の範疇である。南部の国境問題を蒸し返した上で譲歩し、それを以てセルフィーユの問題を封じると聞いていた。
 しかしそれを正面から受けたのは、アンリエッタでもマザリーニでもなく、ガリア王ジョゼフだった。

「アルブレヒト君、君も素直にセルフィーユが欲しいと言えばよかろうに。
 もちろん、我がガリアは反対に回るが?」
「な、何を仰るか!?」
「第一、当該地はまだトリステインの領土であろう。
 急ぎすぎではないかな?」
 的はこれ以上ないほどに射ているが、その発言はあまりに直裁だった。
 アルブレヒトも馬鹿ではないが、それを軽くあしらうジョゼフは本当に無能かと目を疑う。だが『陛下』と『閣下』では、この物言いも許されるような気もしてくるウェールズだった。本当に先が読めない無能王である。
「それにだ、アルブレヒト君には申し訳ないが、セルフィーユの『恒久的』独立は他国にも利があるのだ。
 ……トリステインは言うまでもないが、国内問題の解消」
 独立という札を自ら切った手前、この場では、トリステイン側は再併合の件は口に出せない。国の面子に関わる。ジョゼフがそれを知りつつ芝居を打っているだろう事は明白だった。
「アルビオンは隣国が安定していれば、国内の再編に手が着けやすかろう」
 ウェールズは黙って頷いた。表も裏もなく、本当に時間が必要なアルビオンである。
「そして我がガリアは国境を接しない独立国に、国内の不穏の元凶を封じ込めたいと思う」
「なんと!?」
 これはまた、妙な札を切ってきたものだ。
 ウェールズとアンリエッタは、思わず顔を見合わせた。
「未だ影ながら我が弟を慕う者が多くてな、根源を押しつけるに丁度良い国を探していたのだ。
 そしてロマリアは……内密ながら既に押しつけているのだったな?」
「はい、陛下。
 かの地には、『いつのまにか』新教徒が集住しておるようですな」
「新教徒だと!?」
 アルブレヒトが驚いているが、ウェールズも初耳だった。アンリエッタとマザリーニは……無表情だが、顔色から察するに知っているらしい。
「我がロマリアとしましては既に過去の問題ではありますが、遠くで互いに知らぬ顔をしておる方が幾分ましというもの。
 以前のような叛乱分子にはなれぬほど牙は抜いてありますゆえ、問題を起こすこともないでしょうが、自分から国を去ってくれるのならばそれにこしたことは御座いませぬ」
 なるほど、ガリアとロマリアはこの一件、既に密約を結んでいたのだ。
 リシャール君もこれはまた酷い無茶を押しつけられたものだと、ウェールズは嘆息した。新教徒問題は意外と根深いのだが、彼はそのことを知っているのだろうか……?
「この様な状況なのでな、ゲルマニアが領地を増やしたい気持ちは余もわかるが、下手に手を出さぬ方が貿易で儲かって良いのではないかね?」
 アルブレヒトはため息をついて、意見を保留するに留めた。セルフィーユ周辺では大規模な街道工事が行われている。
「そうだ、いっそ君も不穏分子を押しつけてはどうだ?
 ほら、塔のてっぺんの部屋に住んでいる親族が沢山いるだろう?」
 皇帝の地位を確保するために、アルブレヒトが従順でない親族を高い塔……監獄に次々と閉じこめていったことは、ウェールズも知っていた。
 貴人を収監する監獄は、他者との接触と逃亡を避けるために、塔が作られていることが多い。それを皮肉っているのだ。

 口ごもったアルブレヒトから視線を外したジョゼフは、再びアンリエッタへと目を向けた。
「アンリエッタ姫」
「はい、陛下……?」
 名は呼ばれていないはずのウェールズにも、背中に一筋の冷や汗が流れた。
 この王は、この上何を提案しようと言うのだろう?
「トリステインが国境線近くの領地を独立させればゲルマニアに取られそうになることぐらい、余にもすぐわかるのだ。
 小さな侯国など、アルブレヒト君お得意の『ヴァルトブルク方式』とやらで、あっと言う間に地図から消えてしまうだろうな。
 悪手だぞ?」
 ジョゼフはふんぞり返るようにしてアルブレヒトを眺め、改めてアンリエッタに視線を向けた。
「だが、手遅れでもない。
 ゲルマニアと国境を接しながら、長年まともに国を保っているところもあるのだ。
 余のガリア『王国』、姫のトリステイン『王国』、そして北の小国アウグステンブルク『王国』。……ああ、クルデンホルフは姫の国の庇護下にある上、我がガリアとも国境を接しておるからまた別かな」
 これは非常にまずいとウェールズの心は警鐘を鳴らしているが、ガリア王の口を止められはしない。
 酒杯で口を潤したジョゼフは、ゆっくりとしたため息を一つついてからマザリーニに視線を遣り、再びアンリエッタへと向き直った。

「アンリエッタ姫。
 セルフィーユの領主には侯爵位などとけちん坊なことは言わずに、いっそ王位をくれてやればよいのではないかと思うのだが、どうだろうか?」

「……陛下!?」

「余はセルフィーユ王家の承認と、当該地へのセルフィーユ王国の建国を提案をする。
 幸いここは諸国会議、大国の代表が揃っているからな。
 既に教皇聖下の内諾は余が得ておいた。
 後は三王家揃っての支持があれば、小王家の承認には問題なかろうと思うのだが、いかがだろうか?
 アウグステンブルク王家の成立以来、四百年ぶりの新王家誕生だ、ついでにアルブレヒト君も賛成してくれると余も嬉しいのだがね」

 あまりの物言いに顔を歪めるアルブレヒトの前で、ガリアの王は自らの主張を言い切って見せた。

 ウェールズも、アンリエッタと同じように口を開いて固まった。先日来、柔和な表情をたたえたまま仕事をこなしていたロマリアの代表さえも、目を見開いている。教皇聖下の内諾は知らされていなかったらしい。
「世間では無能王で通っているが、余も下調べをせずにこんな提案をするほど愚かではないぞ?
 現領主セルフィーユ侯爵リシャールは、王を名乗る条件を正しく満たしている。
 彼の者は元を辿ればトリステイン貴族ラ・クラルテ家の出身、ラ・クラルテ家は六代遡ればラ・ファージュ侯爵家、そこから更に四代遡ればアングレーム大公家と、トリステイン王家に確実に連なる系譜だそうだ。
 加えて母の実家はやはり十数代遡ればトリステイン王家の姫に行き着き、妻の実家はトリステイン王の庶子を祖とするラ・ヴァリエール公爵家。
 ふむ、アルブレヒト君の家より余程出自がしっかりしているな。
 加えて我ら三王家の承認と教皇聖下のお墨付きがあれば、問題はなかろう?」
 三つの王家の血は、ハルケギニアの貴族社会では当たり前のように重視されてきた。同時にゲルマニア皇帝家は、数代より前の血筋は知られていなかった。政治軍事には本当に必要な実績や能力はその次に来る要素で、あれだけの大国を統治しながら皇帝への敬称が閣下で留められているのには、やっかみの他にも伝統という名の理由付けがあるのだ。
 実際は婚姻によって薄い血ぐらいは入っているのだろうが、各国は当たり前のように黙殺している。この会議を見ても分かるように、ゲルマニア以外にはその方が得だった。
「そうそう、セルフィーユ王家には、我がガリアの王弟家であるオルレアン大公家が後ろ盾についてくれるそうだ。
 我が弟シャルルの死に際して妻は狂い、子も無口という変わり者一家だがな、余も厄介払いが出来る上、牽制のとどめには丁度良かろう?
 これでは流石のアルブレヒト君もそう簡単には手が出せぬであろうし、放っておけばゲルマニアには貿易の利益が転がり込むのだから、わざわざ波風をたてずともよいと思うが?
 ロマリアもこの件は黙して流すのが良いのだったな。牙を抜かれた新教徒は既に隔離されてしばらくになるが大人しいものだし、あちらが騒ぎになることもなかろう。
 ……おお、そうだ、トリステインにもアルビオンにも便宜を図らねば不公平だな。
 宙に浮くオルレアン大公領は王領に組み入れ、トリステイン国境で問題となっていた亜人の討伐も国を挙げて行うと確約しよう。
 アルビオンから要請があれば、余の両用艦隊がすぐにサン・マロンより飛び立とうな。
 どうだね、諸君?」
 十代二十代遡って始祖の三王家のどれかに連なる家など、三国合わせれば数千に及んでも不思議はないほど薄い血筋であった。しかしその系譜はゲルマニア皇帝家が幾ら望んでも得られぬもの、逆に方便として使うこともできる。政治的な意味合いで繋がった各国が支持するからだ。力ある者の都合は、時に論理や伝統を上書きしてしまう。

 王国、大公国、公国、侯国、領国、都市国家、あるいはゲルマニアのような帝国。
 ハルケギニアには、クルデンホルフのような軍事外交を宗主国に依存した名目的な独立国から、アルビオンやトリステインのような真の独立国まで様々な国がある。
 だが王国は、主君を持たない独立貴族や単なる特定域の実力者が治める国とは異なり、王位を持った国王が国の主権者であった。これではゲルマニアも家臣に取り込んで領土を上納させる『ヴァルトブルク方式』など端から使えず、実力を行使するにしてもよほど名分が立たねば侵略は非難の的になってしまう。
 だが同時に、相手が三王家に加えて教皇の正式な承認を受けた王国では、ゲルマニアどころかトリステインも直接手が出せなくなる。アンリエッタの望む再併合には、王国を滅ぼした国という醜聞と、各国の利をはね除けた上での更なる理由付けが必要となることは明白だった。

 議場には、重い沈黙が降りてしまった。一人ジョゼフだけが楽しそうに皆の返答を待っている。
 ガリアの王弟家は、ウェールズの記憶が確かなら一度廃家されていたはずだ。無論、ガリア王の都合で急遽必要だというのなら、再興など簡単なことなのだが。
 しかし、これはまた無理難題を持ちだしてきたものだと、ウェールズはアンリエッタを気遣った。
 ゲルマニアに取られるぐらいなら、いっそ真の独立国が成立しても構わないと彼女は言っていたが、こうも早くに決断を迫られるとは予想もしていなかっただろう。

 そもそも人口数千の小国にガリアの王弟家という破格の後ろ盾をつけることがおかしいのだが、叛乱にまみれて廃家同然の家なら潰されても惜しくはないし、ゲルマニアがちょっかいをかけるならガリアは戦争の大義名分が手に入る。
 せめてガリア王弟家という後ろ盾を下ろせないかと考えてみるが、後ろ盾を外せばガリアの機嫌を損ねて話そのものが立ち消えとなり、ゲルマニアの手が伸びてセルフィーユが傀儡の王国に成りかねなかった。そしてまた、王弟家を外そうにも他から宛おうにも、トリステイン王家やテューダー王家にはそれに見あう後ろ盾になりそうな親族がいない。

 この諸国会議、結局はガリアの一人勝ちかと、ウェールズは臍を噛むしかなかった。

 だが、アルビオンを含めて各国が酷い損を被ったかと言えば、そうでもない。
 トリステインは確かに厳しい状況に追い込まれていたが、最低限の主張は通っていた。セルフィーユは再併合不可能な独立と引き替えに、ゲルマニアもほぼ手を出せない状況となっている。後ろ盾につけられたガリア王弟家も、家格こそ高いが廃家を復旧した名前だけの家であり、戦争の大義名分にはなってもセルフィーユを実効支配するには影響力が薄すぎた。
 ゲルマニアも元から手を出せない場所がより遠のいただけで、損にまでは至っていない。ガリアとの国境問題は譲ったが、南下策は各国の内諾を得ていた。
 ロマリアは、教皇の手紙一つで流刑地を手に入れている。元の掛け金がゼロに等しいにしては、大勝ちしたと言えるかも知れない。
 アルビオンは……今のところ損得がほぼない。強いて言えばハルケギニアの安定がしばらくは続きそうで、時間を与えられたというところだろうか。だがそれは、本当にアルビオンが欲しているものでもあった。

 改めてこの状況を整理しつつ、アルビオンの全権者である自分は、この場合どうするべきだろうかとウェールズは頭を巡らせた。
 アルビオンとしては、セルフィーユの独立そのものには特に是も非もない。セルフィーユは独立したからとアルビオンやトリステインの敵に回るとも思えなかったし、マスケット銃の輸入では随分と助かっているが、必ずしも相手はセルフィーユでなくともよかった。
 個人的に親しい領主リシャールについては、好ましい人物だが外交と個人の友誼では基準が異なる。適度に仲良く出来れば一番丸く収まるだろうが、アルビオンという国家ありきの友誼であることに変わりはない。
 問題となるのはトリステインの選択だ。この一件で彼の国を困らせても損ばかりで、個人的にもアンリエッタの肩を持ちたいところだった。
 独立の撤回は不可能、再併合も不可能となれば、取るべき道は一つしかないのだが、トリステインとしては苦渋に満ちた選択になろう。

 しかし、ウェールズの心配を余所に、アンリエッタは驚くべき早さで結論した。
「トリステインは……」
 ぐっと拳を握りしめたアンリエッタが、一度だけちらりとマザリーニと目を見交わしてから口を開く。
「ジョゼフ陛下の提案を支持し、セルフィーユ家を王家とするセルフィーユ王国の建国を承認いたします」

 マザリーニも同時に重々しく頷いたことで、ウェールズも腹を括った。



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