ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
挿話その十四「諸国会議の小さな余波」




 クルデンホルフ大公エンゲルベルトは公都を見下ろす丘の上にある城で、これはどう扱ったものだろうかと渋面を作っていた。

『セルフィーユ、王国として成立す』

 ガリアの首都リュティスから届いたばかりの報告書には諸国会議での決定事項が他にも幾つか記されていたが、エンゲルベルトは小さく嘆息して紙切れを机の上に投げ出した。
 会議前に聞いていた話では……情報の出所によっては少々内容が異なるものの、クルデンホルフの立ち位置に大きな影響が及ぼされる一大事とはならかったはずなのだ。小さな侯国が一つ泡と生まれて消えるだけの話であり、その数年間を如何にやり過ごすか、大凡の計画まで立てていたところにこの一報である。
「この件について、最優先で各国の情報を集めるように。
 特にトリステインと現地セルフィーユには注意を払え」
 遅きに失したかもしれないが、右往左往していても解決には遠い問題だ。
 エンゲルベルトは幾らか想像を巡らせて、この場で出来そうな指示を出し終えると、自らは手紙を幾つかしたためて更に竜騎士まで呼びつけた。
 
 クルデンホルフ大公国は成金の成り上がりと揶揄もされるが、巧みな外交と豊富な資金力で数十年に渡って独立が維持されているあたり、トリステインの南東の端、ガリア、ゲルマニアとも国境を接する小国でありながら命脈を保っている希有な存在であった。
 トリステインの衛星国だが、時にゲルマニアやガリアとも『綱引き』をしてきた小さな『大国』でもある。正確にはクルデンホルフを引っ張ろうとした国に対して、残りの二国へと頭を下げて綱引きに加わって貰うのだが……でなくては、とうの昔に地図の上から消えていても不思議はなかった。クルデンホルフの持つ経済力や利権を他の大国が握るよりは、小国の手に委ねたままの方が幾らかましと思われているのだろうし、そうなるように仕向けてもいる。
 その均衡を崩す存在にもなりかねない国家の誕生は、決して歓迎できるものではない。
 報告を見るにセルフィーユ王国は旧セルフィーユ侯爵領がそのまま独立した様子だが、その経済力は伸び盛りと言ってもお話にならず、都市領に近い小国であるクルデンホルフに比べてさえ面積は四半分、人口は十分の一程度と、国としての規模があまりにも小さく本来ならば影響なしと判断してもよい小物であった。
 しかしその他の要素は、クルデンホルフにとっては頭の痛い内容と言い切ってもいい。
 国の格は王国で権威だけなら諸侯会議を開いている大国の下あたり、更にエンゲルベルトとしても最悪に近い後ろ盾を得ているという、まことに厄介な相手である。
 新王リシャールは、旧諸侯時代に於いてはアンリエッタ姫の信任も厚く王宮へも定期的に出入りを許されていた王室見聞役であり、マザリーニ宰相の後任として名を上げられながらも反目するどころか協調さえ見受けられ、ついで……と言っては語弊もあるが、トリステイン最大の諸侯ラ・ヴァリエール家の次女が正妻で、当人も次期公爵の最有力候補として名が知られていたほどである。
 勝ち気な愛娘にも時に諭すがトリステインで逆らってはいけない相手、トリステイン王家、宰相マザリーニ、ラ・ヴァリエール家、その三者全てがセルフィーユの背後にあると言っても過言ではない。
 当初の予定通りセルフィーユが数年で命を終える『侯国』であれば、同じトリステインの衛星国として単に友好的態度を取り、将来のトリステイン宰相あるいはラ・ヴァリエール公と見て心証の一つでもよくしておけばそれで済んだ。ラ・ヴァリエール家の息が掛かっていようとトリステイン王家の庇護があろうと、礼儀を尽くす分にはこれまでのクルデンホルフの政治方針に変化はない。
 それが王国として恒久的に成立されては、少々厄介な問題が起きる可能性があった。
 本物の戦場での『綱引き』など考えられないクルデンホルフの議場に於ける戦いで、時に四本目の綱を握る可能性を持つ相手が生まれたことで、トリステインに対するクルデンホルフの重みが少々変化する可能性が高まったのである。

 エンゲルベルトを驚かせたセルフィーユ独立の第一報が届いてから数日、諸国会議は無事に終了した。ハルケギニアが大国の要望であれ都合であれ、平和に保たれようとしているのはクルデンホルフにもありがたい。
 各地からの報告が概ね揃うと、いつものように茶会の名目で数人の腹心を呼びつけて資料を前に小さな会議を行う。
「アンリエッタ王太女殿下の評判は、非常に高まっております。
 即時の登極を促すほどのものではありませんでしたが、多少は近道になったようでした」
「リュティスの市中でさえ、その話が出ておりました」
「無論、我がクルデンホルフ国内に於いても、その噂は広まっております」
 市井の反応は各国何処も似たり寄ったりで、大国の次期宰相を約束されながら自らの出世どころか地位と名誉を捨ててまで政治的混乱を収めようとしたリシャール王と、それを受け止めて功に報い領地と爵位を安堵し建国さえ許したアンリエッタ王太女をまことの主従と褒め称えて、明るい噂話や美談とされている。
 しかしそれは平民層や政治に関係のないお気楽な貴族達に限った話であり、エンゲルベルトが欲している各国の反応は、違った角度からの検証が必要だった。
「まずは……やはり、元凶となったガリアから聞かせて貰おう」
「はい、殿下。
 ……セルフィーユ王国の成立には、やはりジョゼフ一世陛下の強い推薦があったそうです。
 大きな発表はありませんでしたが、旧ガリア王弟家であるオルレアン大公家の名誉が回復され、大公不在のままセルフィーユ家の後ろ盾についたと聞きました」
「オルレアン大公家……故シャルル殿下の御家か?」
「はい。
 クリスティーヌ夫人並びにシャルロット殿下は、セルフィーユに移されることになったそうです」
 旧王弟派は組織としてはほぼ瓦解していたものの、未だ根深い問題として残っている。旗印となり得る遺児がまだ生かされていたことも驚きだが……いや、殺すことで大きな反発を産まれることを避けていたのだろうか。表向き平穏なガリアだが、一皮めくれば燻っていることぐらいは知られている。
「旧王弟派はどうだ?」
「いえ、特に動きも動揺も見受けられぬようであります。
 叛意が消えたとは言えぬでしょうが、地位や名誉はともかく、叛乱にせよ生活にせよ、全ての基盤となるガリアの地を捨てる躊躇いもあるのでしょう」
「また、落ち延びる先としては微妙なところです。
 平民に身をやつして大公家に仕える覚悟があるかどうか、試されているのかもしれません。
 正直申し上げて、セルフィーユ家の経済力では……大公家だけでも相当の重荷になると思われます」
 領民数千では王家の威厳を保つのも厳しかろうに、大公家の散財次第では家が傾くかとため息をつく。
「それに旧王弟派も、セルフィーユから叛乱の支援を取り付けるよりは、ガリア国内で伯爵家の二つ三つでも説得して回る方が余程楽に協力も援助も得られますから……」
「ふむ、セルフィーユがガリアに対して内政干渉を行えるとは思えぬし、妥当なところか。
 それにしても、皮肉なものだな……」
 地位と名誉を捨てることで全てを手に入れたセルフィーユ王とは対局に位置するなとひとりごちて、エンゲルベルトは続きを促した。
「しかし王弟家を押しつける監獄にしてはだ、王国とはやり過ぎではないのか?」
「侯国では、トリステインの望む通りの再併合は難しかったかも知れません。
 トリステインの力を削ぎつつもゲルマニアの干渉を排除するには、今のところは良い一手だったと思えます」
「ゲルマニアの台頭はどこも良しとせぬだろうが、ガリアも領土を削られたわけではないし、表向きは名誉ある独立、か……」
 再併合への道筋は詳細こそ届いていなかったが、それらが全て潰されたことは間違いない。トリステインがそれに対してどう動くのかも、頭の痛い問題であった。
「ゲルマニアは、この一件については負け戦と評しても間違いないようですが、アルブレヒト三世閣下御自らが独立を支持した手前もあり、しばらくはセルフィーユに手を出さぬ様子であります」
「ガリアの王弟家が居座るとあれば尚更か」
「はい。
 ついでながら北のオクセンシェルナと揉めていた離れ小島の領有権についてもトリステインの取りなしで現状維持、代わりに諸国会議にて南進策を各国に認めさせたようでして、南端で国境を接する都市国家アイヒシュテットに早速手を伸ばしておりますが、他国は沈黙を守っております」
「会議が終わるなりか?
 露骨だが……正しくもあるな」
 領土を欲して四方八方に手を伸ばしているゲルマニアだが、他の大国全てを敵に回せるほどの力はない。はた迷惑な話だが、機嫌の変わらぬうちに取れるものは取ってしまえと言うことなのだろう。巻き込まれても困るので、クルデンホルフに対する圧力でなければ、静かに事実を受け止める以外に対処のしようもなかった。
「ロマリアはどうか?
 セルフィーユ王国の成立に教皇聖下からお墨付きがあったと、報告書にはあるが……」
「事前にセルフィーユ司教区の大司教区化を行った程度で、目立った動きはないようです。
 まだ新体制下で国内もまとまったとは言えませんし、ロマリアが内向きに篭もるのは今に始まったことではありませぬ」
「諸国会議で支援は約束されたようだが、手紙一つ、大司教の席一つで話がまとまるなら安い買い物か……」
 ロマリアは各国間の利害に深入りすることなく得る物を得たわけで、元金は小さいがガリアに一口張ってしっかりと儲けていた。失敗してもチップ一枚、上手いやり方である。俗世の利益と割り切っているのか、それとも教皇と守旧派の溝が深い総本山のこと国内問題の方に力を入れているのか、欲深い坊主共にしては殊勝なことだと嘆息する。
 エンゲルベルトらもガリアとの密約には想像がついても、流石に新教徒の移住まではつかめていなかった。知っていればまた別の答えを導き出していただろうが、そこまでの力はクルデンホルフにはない。
「アルビオンは……まだ報告は届いておらぬであろうが、やはりトリステイン寄りで間違いないか?」
「はい。
 ウェールズ皇太子殿下は帰国の途上、ロマリアに向かったリシャール陛下に先駆けて自らセルフィーユへと向かわれたそうです」
「そう言えば、リシャール陛下はアルビオンとも懇意であられたか?」
「一昨年のマリアンヌ王后陛下主催の園遊会では、当時子爵であったリシャール陛下を案内役にしていたと記録にあります。
 月一便ながらアルビオンとの航路も維持されておりますし、関係は密と言って間違いありません」
「セルフィーユはマスケット銃を売っておるのだったな?」
「価格は並品ながら性能はそこそこ上等と、セルフィーユ家の方針か真面目な商売に努めているようです」
「一時は市中にも流れていたのですが、現在は完全にアルビオンが囲い込んだ様子で、トリスタニアでも見かけなくなっていると聞いております」
「そのアルビオンへは、セルフィーユ産のものだけでなく、トリステインやゲルマニアの市場からかき集めた武器類もセルフィーユを通して運ばれておりました」
「内乱は落ち着いたにしても、再編中ということか」
 叛乱は中途半端に終わったが、アルビオンは現在、自慢の艦隊は往事の七割も動かせないと噂されている。国土も荒れており、それを鎮めるのに新たな連隊を訓練させていた。

 一度休憩を挟むと、肝心のトリステインはどうであろうと、エンゲルベルトは口火を切った。
「表向きは万歳三唱、裏は混迷としか言いようがありませぬ」
「アンリエッタ殿下の評判は非常に高くなっておりますし、セルフィーユを切って捨てたことで貴族間の対立は問題その物が立ち消えました。
 ですが、外圧に負けて戻るはずの国土が切り取られてしまったこと、次期宰相が国を出てしまったこと。
 これをどう評価するかで随分と差がありまして、社交界は混乱しております」
「再併合の裏事情を知らなければ、セルフィーユの建国に餞を送ったように見えましょう。
 知っていればトリステインの外交的敗北と映りますが、内向きを見れば内政問題はほぼ一掃された上に、恐らくは女王として玉座に登られる時期は多少早まったかと判断できます」
「しかしながら、急先鋒であったはずのラ・ヴァリエール閥も急な話と態度を決めかねているようで、対する貴族院主流派は不思議と黙り込み……。
 当事者のお一人であるアンリエッタ殿下はまだ戻られたばかりで、マザリーニ宰相ともども実務に追われてしばらくは身動きがとれぬでしょう」
「概ね王太女殿下への支持は上向きですが、流れが見えてくるのはトリスタニアで開かれる建国祝賀会の後かと思われます」
 こちらは数日様子見かと頷く。関係者一同が揃い態度が表になった後でないと、反応の見極めは出来ぬだろう。
 あまりトリステインの主流となる意見から外れた選択は以ての外という、衛星国の哀しさがこの点に集約されている。
「現地セルフィーユの方はどうであったか?」
「アルビオンの艦隊が寄港して以降、まるで戦勝祝いのような騒ぎになっております。
 ですが……侯国への独立が発表されたときも同様でしたが、反発はほぼないようです」
「家臣一同と言わず非常に領主個人への支持が強い土地であると、以前の報告書にも記されておりましたな……」
 エンゲルベルトは、この状況で平民層からの支持に揺らぎがないとは洒落にならぬと、得体の知れぬ恐ろしさを感じた。
 リシャール王がセルフィーユの領主となる以前、周辺一帯はトリステイン王家の直轄領であったと聞く。当人にしてもラ・ヴァリエールの娘婿として世に名が出てからわずか数年のはずで、数代を経て統治が行き届いた領地の話ではないのだ。……それまでは、個々の地名さえ聞かぬ田舎であったかとふと思い出す。
 ついでにもう一つ、気に掛かったことが見つかったエンゲルベルトであった。
「去年か一昨年、セルフィーユ家は当家傘下の銀行から金を借りていなかったか?」
「調べて参ります」
 数分で書類束を抱えて戻ってきた腹心の報告に、ラ・ヴァリエールを頼ればその程度の金額、片手間にもならぬであろうにと更なる困惑を覚える。
「四万エキュー!?」
「はい、ヴァイルブルク銀行トリスタニア支店より担保付きの利率三割の一年で契約され、期限前に問題なく返済されております。
 公証人にフェヌロン前男爵、立ち会いにアルトワの鉄商コフル商会の会頭セルジュ。借財の理由には、表向き領内整備の資金調達とありますが……」
「表向きとは?」
「ご当人が語ったと書かれてありますが、アルビオンから船を買ったはよいものの、その代金に宛てるマスケット銃の生産費用が足りずに往生している、と」
「軍需品の生産費用として用立てているからこその表向き、でありましょう。
 確かに間違いではありませぬな」
「また、担保を持ちかけたのは子爵ご自身であった、とも記されています」
「ふむ……」
 なるほど、誠実だが果たしてそれだけのことであろうか。
 王太女と宰相とラ・ヴァリエールが揃って後押ししているとしか思えないリシャール王が実直な性根であろうことは想像出来るが、同時に商才と統治に優れているという点も見逃せなかった。
 ラ・ヴァリエールから借りられぬ理由でもあったのではないかと、思案を巡らせる。しかし両家は緊密な関係で、現在に至るまで些細な亀裂さえ見受けられないという。
「当家から金を借りる方が、ラ・ヴァリエールから借りるより良いと判断した当時のリシャール陛下の根拠、今ひとつ見えぬな」
 妻が生活に不自由していないと示すためだけにラ・ヴァリエールだけでなく世間に見栄を張っていたなどとというセルフィーユ家の内幕は、無論、当人を含めた僅かな家臣と極一部の近しい人々以外には知られていなかった。
「調べて出て来るとも思えぬが、継続して一般的な調査を行うよう手配しておけ。
 ……場合によっては、別の背景が出てくるやも知れぬ」
「畏まりました、殿下」
「うむ、セルフィーユの件は何かあれば逐一報告するよう。
 それからもう一つ、ゲルマニアの南下策だが……」
 次々と小国が飲み込まれていく状況がクルデンホルフに歓迎できるはずもなく、こちらはこちらで頭の痛い問題であった。
 ゲルマニアの機嫌を損ねるのもまずいが、当該地にある顧客の貴族家が争い巻き込まれ、貸し倒れが発生しても困るのだ。
 
 更に一週間ほどが経過して、トリステインではセルフィーユの建国祝賀会が執り行われ、当地からも正式に建国が発表された。
 その後も両者の関係は変わらず緊密で、実務面では落ち着いてきている。
 貴族層は相変わらず揉めている様子だが、功罪相半ばで得失点を相殺、あるいは王太女側やや有利という判断をエンゲルベルトは下していた。
「貴族院も大人しくなってはいるようですが、アンリエッタ殿下の御即位の引き延ばしは既定の路線であるようです」
「数年後には御即位が確定的で逆らえないことになるのだから、今のうちに点数の一つでも稼いでおけばよいものを……。
 後が大変であろうにな」
「国王陛下不在の今、折角甘い汁を吸える立ち位置を得ているのに、拘泥しすぎるなというのも酷でありますまいか?」
「そんなものか……」
 外から眺めるからこそ、わかるのかもしれない。
 トリステインは始祖の血を継ぐ大国とは言っても、諸国会議に呼ばれた五カ国の中では一番小さく、中で争っている場合ではないのだが……。
 宗主国のトリステインだけでなく、クルデンホルフを囲む三国には現在の均衡を崩されては、本気で領地が立ち行かなくなるのだ。
 魔法と銃弾が飛び交う本物の戦争では、いくらクルデンホルフ自慢の空中装甲騎士団が優れていようと、規模が……特に層の厚さが違いすぎる。まともにぶつかれば一戦して名を上げるのがせいぜいで後は息が続かぬと、エンゲルベルトは『知っていた』。
 ではその維持費用が無駄かと言えばそうでもなく、小国なりの権威と存在感を示すこと、割に合わぬ出血を強いるぞと喧伝することで、その他の余計な問題を封殺しているのである。
 そう言えば、セルフィーユも諸侯領時代から不相応に軍艦を揃えていたかと、エンゲルベルトは真面目な顔を作った。
「これは……手綱こそつけられていたが、ラ・ヴァリエールの威を借りたトカゲではなく、竜の仔が間借りしていたと見た方がよいのか……?」
 ……当初予定されていた独立と再併合はアンリエッタ王太女の主導であったと聞くが、本当に完全な独立国となる予定はなかったのであろうかと、僅かに疑問を抱く。
 セルフィーユ王も彼女も、エンゲルベルトの愛娘とそう変わらぬ未だ十代半ばの少年少女であるにもかかわらず、周囲の状況と下された判断を分けて考慮すれば、落ち着きすぎていた。
 アンリエッタ王太女は、立太子前後から人が変わったような勤勉さで政務を学んでいると聞く。リシャール王もかつては『子供子爵』と揶揄されていたが、いつの間にかラ・ヴァリエールの婿ではなくセルフィーユの領主として認識されるようになっていた。その彼らには、国を背負おうとする姿勢さえ見える。
 彼らと同じ年の頃、自分はどうであったかと思い出すと……一人前の大人だと思いこんでいた、本物の『子供』だったなと苦笑せざるを得ない。トリステインの魔法学院に留学して、世の中の理も知らず好き勝手をしていた頃だろうか。
 アルビオンでは現王が半ば引退してウェールズ王子が摂政皇太子として扱われているし、ロマリアの新教皇もやはり年の頃二十歳過ぎと若かった。
 五大国の指導者の過半が二十歳そこそこの若者とは、一体どう判断したものか。
 彼らは皆、決して愚か者ではないが、若者は燻った安寧よりも明暗のついた結果を求める方に動きやすいものだ。そんな彼らが国を背負う時代は、すぐそこまで来ている。
 時代が動くその瞬間に、自分は居合わせているのかもしれぬ。
 埒もないことを考えたと、その想像を……笑い飛ばし損ねたエンゲルベルトは、不機嫌そうな顔になって黙り込んだ。
「失礼いたします、殿下。
 セルフィーユより使者の先触れが参りました」
「……ほう?
 あちらから札を切ってきたか」
 会わぬわけにも行かぬが丁度良い機会かと、エンゲルベルトは最上級で歓待するよう命じた。

 他国の使者が来たからと国中が慌てるようなことのないクルデンホルフでは、セルフィーユの先触れにいつのご到着でも歓迎すると返答をして、翌日特使を迎え入れていた。
「セルフィーユ王国親善特使フレンツヒェン・フォン・ハイドフェルド男爵閣下、ご到着であります」
 エンゲルベルトは段座から特使の一挙一動を見下ろしつつ、随分とゲルマニア式の宮中作法に手慣れた家臣を抱えているのだなと、表情には出さず思案する。元は人口数百の寒村の集まりであったというから、引き抜きでもされた家臣であろうか。
 型通りのやり取りの後、侍従を遣って特使をテラスへと誘う。
「改めて遠路ようこそ、ハイドフェルド殿。
 どうぞ掛けられよ」
「ありがとうございます、殿下」
 ……四日前に男爵位を拝領したばかりの宰相兼内務卿とは驚きだが、やはり堂々とした様子で作法から一歩も外れることなく、フレンツヒェンは席に着いた。
「宰相殿はリシャール陛下にお仕えして長いのか?」
「二年と少しでございます」
 しばらくは差し障りのない世間話で繋ぎ、本題のリシャール王の為人について聞き込んでみる。
「恥ずかしながらリシャール陛下とはいつぞやご挨拶を交わした程度で、よく存じ上げないのだ。
 巷間に流れる評判では、どうにもお人がつかみきれぬでな……」
 さて、この者は小国の宰相として自らの主君を他国の君主の前で如何評価するやと、多少の意地悪さも含みながらワインを傾ける。
「は、では憚りながら……。
 我が陛下は一言で申し上げるならば……鉄のようなお方です。
 時に鉄鍋として民に温かなスープを与え、時に鉄鍬として国土を豊かにすることも厭われませぬ」
「ふむ」
「無論、お持ちの二つ名『鉄剣』のように、自らを振るわれることもありますが」
「ほう?」
「トリステインの諸侯で在られた頃、空賊討伐の功績によりシュヴァリエの称号を得ておられます」
 リシャール王は内政の業績ばかりに目を向けられがちだが、軍功も上げていたかと内心で嘆息する。
 だが宰相の言葉その物は主君を持ち上げ他者を貶めず、無理のない喩えであり、模範的な解答だとエンゲルベルトは満足げに頷いた。
 少なくとも、まともに話が出来る相手だと判断できる。下手な答えでも返すようなら褒めちぎった上で土産でも持たせて帰すところだが、もう一歩踏み込めるかと身を乗り出す。
「ふむ、良き王であらせられるのだな。
 ところで宰相殿」
「は」
「陛下は今年十六になられると伺ったが……」
「はい」
「愛妾は何人ほどお抱えなのであろうか?」
「……は?」
 政治的な現状に探りを入れても、この者は答えぬだろうと見越しての一言である。いや、正確には『将来の』と枕詞がつけば政治も絡むだろうか。
 エンゲルベルトも意表を突くつもりはなかったのだが、宰相は目を見開いて驚いた様子だった。
「いえ、失礼致しました。
 私の知る限り皆無でありますし、今後もまず望んで召し上げられることはなかろうと愚考いたします」
 フレンツヒェンも夫婦仲がよいリシャールが浮気など、流石にあり得ないとは思っている。王が望むなら、それこそ美人で知られる滞在中の女学生から城の侍女に至るまで浮気相手には事欠かぬ環境であったが、幸いにしてその気配は一切ない。
「それに妾姫ではなく、正式な御側室を迎えられることもありますまい。
 我が国……いえ、我が陛下を取り巻く状況を知らずに側室を送り込もうとするような馬鹿者と結んでも益はなく、知って送り込んでくるような相手と結ぶこともまた、百害あって一利なしと断ぜられましょう」
「……ああ、そうであったな」
 エンゲルベルトはカトレア妃の実家はラ・ヴァリエールであったか、さもありなんと誤解していたが、浮気がラ・ヴァリエールやアンリエッタ姫を怒らせてしまうから……などと言う単純な理由だけではない。
 フレンツヒェンの知る範囲でも新教徒問題だけでなく、トリステインとアルビオン両王家の強固な後押しがある今、その均衡を崩されては困るし、王の愛人ともなればそれなりの出費を要求される。
 商都化も潰されて今後の見極めさえ出来ていないのに、そのような私事で潤沢といえない国の予算が振り回されてはたまらなかった。

 エンゲルベルトは他にもリシャール王の話を幾つか聞いたあたりで、実際に会った方がよいなと気分の重くなる決断を下した。
 単にトリステイン王家と宰相マザリーニとラ・ヴァリエールが背後に見え隠れする逆らえぬ相手と見るよりも、大国に翻弄される小国同士と割り切るか否か、渦中の人物と直接相まみえるべきだ。
 与し易しとは思えぬし最初から敵に回すわけには行かぬと分かっている相手だが、やはり繋ぎぐらいはつけておくべきであろう。後押しまではせずとも好意的中立、あるいは……貸し主と顧客という関係ぐらいは結ぶ必要があるかもしれない。
 今後の伸長次第では議場で綱引きを頼む相手としてだけでなく、ゲルマニアの領土欲に対する北の重石となるのではないかと気付いたせいでもあった。





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