放課後、白斗はとっとと今回の「仕事先」に向かおうと、いつもより早く学校を出た。 「お、いたいた。ところで津堂さぁ」 と、待ち伏せでもしていたのか校門付近で山寺に肩を叩かれる。 「昼休みにお前言ってたよな? 今日これからバイトがあるって」 「ああ。草むしりが三件ほど。……まさか手伝ってくれたりするのか」 かなり期待を込めて見つめてみるが。 「あー、いや、そうじゃなくて。……そこで出会いとか無いのかよ?」 「出会い?」 「ほら、女の子とか美少女とか異性とかフィメールとか!」 「……まだ続いてたのかその話」 「いいよなぁお前は妹いるし! 俺の知り合いなんか幼なじみと毎日夫婦登校だったり、また別の奴なんか部活で女に囲まれてたり!」 何やら両手を宙に掲げ、雄たけびのようなものを上げ始める。 「じゃあ……コイツはどう思う?」 何の気なしに、ちょうど校舎から出てきた葵を示す。 「え? なになに? 何かくれるの?」 「あー、俺も電波っぽいのはちょっと……」 「?」 『ははは……』 顔に疑問符を浮かべている葵の背後でクレアが苦笑いしているが、山寺には聞こえていない。 「っと、悪い悪い、引き止めちまって。時間……大丈夫か?」 相手が校舎前の時計を確認し、つられて自分も見上げると、もうすぐ四時を回ろうとしていた。 「まあ、日が沈むまでに終わればいい……と思う」 「……あー、その、なんだ、頑張れ」 白斗が「同情するなら労力をくれ」と言う前に、相手はどこかへ行ってしまった。 「ところで、悠と光輝知らない?」 山寺が去ってすぐ、葵がこちらを見上げてきた。 どこから取り出したのか、その口にはアイスの棒が咥えられている。 「一緒に帰ろうとしたんだけど、教室にはいなかったの」 『ゲタ箱に靴はあったから、まだ校舎内にいるとは思うがな』 「さぁ。今朝からずっと見かけてない」 言うと、葵は一瞬だけ考え込むような仕草をした。ただし、仕草だけなのかもしれないが。 「ま、たまにはいっか。あたしは適当にぶらついてから帰ろっかな。具体的には食べ歩きとか」 『……何度も言うが太るぞ、お前……』  「……さて、そろそろ俺も行くか」 こんな事をしている場合ではない事を思い出し、二人に告げる。 『ああ、それじゃあな。頑張れ』 そして「学生」としての一日が終了し、また別の日常が始まる。 自分や悠、そして光輝のバイト先、名称は『協会』。 業務分類は「便利屋」。とどのつまり、ただの何でも屋。 名付けた人間が何を考えていたのか、『協会』などという仰々しい名称のせいで、一部の人間からは「半ば都市伝説と化している秘密結社」などと言われる事もあるらしい。 実際にそこにいる白斗自身としては、何が都市伝説だと言いたいところではあったが。 つまり。 郊外の、とある住宅地にて。 「暑い……」 制服の袖をまくり、春だというのに真夏ほどに感じられる草いきれの中、額から流れてくる汗をぬぐった。 いくら引っこ抜いても、勝手に増殖しているんじゃないかと思えるほどの雑草群。 昔は使っていた軍手も、最近は面倒になったのでその存在すら忘れるようになっていた。 派遣先を決める上司は、嬉々として自分の事を「草むしり職人」とか呼び始めていた。 「何で悠と光輝は買い物ばっかりで、俺は草むしりばっかりなんだ……」 つぶやきは誰にも聞こえず、風に流されて消えた。 いくら「半ば都市伝説と化している秘密結社」と言われても、実際に入ってくる「仕事」の九割九分九厘は。 草むしり。 子守り。 草むしり。 掃除に洗濯。 犬の散歩。 物品の買い出し。 草むしり。 コンサートチケットの取得。 草むしり。 ほぼ毎日メールで送られてくる仕事(ざつよう)にうんざりしつつ、今日も今日とて任務(くさむしり)に赴くのであった。 葵の趣味は本人いわく「人助け」らしい。 街中で困っている人を見つけ、その悩み解決のために働く事が何より好きだと言っていた。 同時にその理由として、心が温まる、幸せがめぐりめぐってスパイラル、などと本人は言い訳のように言っているが、クレア自身は全く信じられなかった。 ある日偶然助けた老人がとある大企業の社長で、そのお礼にもらった高額紙幣を掲げてウハウハしている葵を見て、駄目だこいつ早くなんとかしないと、と感じたような事が何度あったことか。 ちなみにその後彼女は紙幣を握り締めて、前から行きたいと言っていた高級料理店に突撃していった。まあその後にうるさすぎて当然のごとく出入り禁止を食らったが。 つまり、葵の目的は「金」そして「食べ物」なのだろう。 そのためには労力を惜しまず、何にでも首を突っ込みたがる。 『……』 まあ、そんなわけで。 仁王立ちになった葵が十数人ほどの不良生徒に囲まれている(………………………………………………)のは、必然といえば必然なのだろう。 そう思い、クレアはため息をついた。 「食べ歩き」に行こうとした途中、カツアゲをしている他校の生徒を見つけた。 それを葵がとがめ、別に被害者でもないのに何故か慰謝料を要求などと言いだし、逆にカツアゲをしようとすると相手は逃走した。 クレアが止めるのも聞かず、目に¥マークを浮かべた葵が追跡すると。 ……まあこれは後から分かった事だが、その生徒は近隣では名の知れたとある不良グループの一員だったらしい。 つまり。 『最初は二人だったのが、仲間を呼んで十数人、か……』 改めてため息をつく。 現在の場所は学校の寄宿舎裏の、古びたシャッター通りの空き地。 人通りはもちろん、ロクに車も通らないため、助けを呼ぶのは難しいだろう。 『……なぁ、葵』 おそらく相手たちも彼女の性別を考慮して、多少は手加減してくれるのだろうが――。 「あたしに盾突いた者はどうなるか、教えてあげようじゃない!」 やたらとエラそうに胸を張った葵の言葉によって、相手のグループがどんどんいきり立っていく。 『手加減して……くれなさそうだな……』 しかもその答えは多分……「今じゃ全員漏れなく友達(・・)」か……。 こうして彼女のコネが広がっていく。 このようにして知り合った人間(葵いわく「友達」)から、毎日様々な情報を『強引に』入手していく。 他校の学級名簿や街中の噂の入手はお手の物、果ては欲しい商品を最も安く取り扱っている店舗の情報まで。 この謎の情報網を使い、葵の「人助け」は毎日続けられていく。 『葵……逃げる気は無いか?』 無駄だと知りつつも、あえて聞いておく。 「? 何で?」 『……だよな』 分かりきっていた事だが、やはりため息をついた。 「さっき、スイーツバイキングのチラシもらったじゃない? これ終わらせたらそこ行こうかなーって」 『まあ……好きにしろ』 無視するんじゃない、とか、何一人でしゃべってる、などと相手のリーダー格らしき人物が言ってくるが、クレア自身としてはもうどうでも良かった。 『……』 それにしても何で葵一人相手に男が十数人がかりで向かってくるんだ、と言いかけ。 『……そう言えば確か前に一度返り討ちにしたな(…………・・)、アイツら』 最初にカツアゲをしていた二人の顔をよくよく観察すると、そんな事に気づいた。 「あれ、そうだったっけ?」 『だから今度は大人数で来たのか……。まあ私としては相手が何人でも構わないけどな』 そして。 『葵。代われ(……)』 同時、身体が浮き上がるような感覚と共に、葵とクレアの人格が入れ替わった(………………)。 「……」 ふぅ、と息を吐く。 何度もやっている事だとは言え、未だに慣れない。 一時的にでも身体を取り戻すのは(…………………………)。 「……さて」 スニーカーのつま先でコツ、コツとアスファルトを蹴る。 こちらの動作を隙と受け取ったのか、そのうちの一人が一直線に躍(おど)りかかってきた。 「……」 上半身の重心を下げ、カウンター気味に顎にアッパーを打ちこむ。 それを合図とし、一対十五の「抗争」が始まった。 最も、抗争と言うにはいささか一方的ではあったが。 右から襲いかかってくる一人の襟元を掴み、左から迫りくる方へと突進の勢いをスライドさせ、押しつけるようにして投げつける。 さらに、足元に転がった数人の頭を踏まないように気を払いつつ体をひねり、一人の不良生徒の腹に掌底を叩き込む! その相手の口から音も無く息が絞り出されるのを待たず、クレアは無言で次の標的を探し――。 ……。 「……しまった、やり過ぎた」 既に全員が気絶しているか逃げ出しているのに気が付いて、慌てて今殴ろうとしていた手を引っ込める。 『いけいけごーごー! もっと踏みつぶしちゃえ!』 背後では、クレアと入れ替わった(…………)葵が、何やら楽しそうに拳を振り上げていた。 その姿は普段のクレア自身と同じく、半透明になって宙に浮いている。 「……どこをだ」 『んーと、顔とか下半身とか』 「お前たまにエグいこと言うよな……」 ため息をつき、周囲の安全を確認した上で身体を葵に返した(……)。 『ふぅ……』 やはり、慣れない。 肉体的な疲労は葵の身体の方に蓄積されているはずなのだが、それでも何か重い疲労感がイヤでも感じられた。 ふと、まるで自分が戦ったかのように腕を振り回している葵が、倒れている生徒の顔を覗き込んだ。 「あれ? この人なんか泡吹いてるけど……殺してないよね? 警察にはあたしは悪くありません、クレアが全部やりましたって言うけど」 『……。いや、これでも私としてはかなり手加減しているつもりなんだが』 そもそも私は仲間内以外では見えていないのだから、その言い訳は無理だろうと言おうとして。 「ま、いっか! 邪魔者も消えたし、改めて何か食べに行こうーっと。……なにボーっとしてるのよクレア! ほら、さっさと行くわよ」 『……はいはい』 これが葵とクレア、一つの身体を共有している二人の日常。 機会はほとんどないが、自分の事を他人に説明する時、いつも「葵にとり憑いている幽霊」だと言う事にしている。 普段は彼女と行動を共にし、ただ一緒にいるだけ。 しかし、葵自身が事件に巻き込まれやすいのか、事件に自分から襲いかかるのか――おそらく後者だが――そのような時には文字通り「精神を入れ替えて」彼女のボディガードをする事にしている。 自分でもどうしてそんな事が可能なのか不明だが、実際に出来てしまうのだから仕方がない。 そして裏を返せば、それはそのまま葵の身体を乗っ取れるという事。 もちろんそんな事をする気は毛頭無いので、いつもすぐ身体を返しているが。 だが、彼女は怖いとは思わないのだろうか。自分のさじ加減一つで、いつ何時身体の自由を奪われる事もあり得ない話ではないというのに。 以前、ふと気になって聞いてみた事があった。 それに対する葵の返事は「考えてみた事もなかった。そんな事よりお腹すいた」。 単純に考えが回っていないのか、気を使ってくれているのかは不明だが、同じようにこちらの背景についても詮索しないでくれている。 それだけでも、自分としてはありがたいと思う。まあ、毎日の気苦労だけは多少勘弁して欲しいところではあるが。