「うわぁ、古い校舎っすねー」 廃校舎に入るなり、先頭を歩いていた彼がそう言った。 「ところどころ崩れていて危ない箇所もある。あまり一人で先走らない事」 「へーい」 へらへらと笑いながら、懐中電灯でこちらを照らした。 「それにしても……初の快挙っすよ、部長(・・)はもっと喜んでいいんだと思うんすけど」 「何が」 言うと、彼は大仰に手を広げる。 「今まで誰も入った事のないこの旧校舎! 先輩たちでさえ気味悪がっていたここへの潜入に成功したのは、部長が率いる現オカルト部(……・・)、つまり俺たちが初っすよ!」 「まあ、それもそうよね。リーダーが桃子(・・)先輩じゃなくてアンタだったら、あたしは来たくなかったもの、こんなところ」 「……あんだとぉ?」 「はいはい、続きは帰ってから。今は探索を優先。その方が効率的」 そう言って、私は手を叩いた。 オカルト部。 ある学校にはあるけれど、無い学校には無い。そんなマイナーな部活。 先代は入部希望者が少なかったため、二年生の私が部長になれるほどの。 活動内容は文字通り、古今東西の心霊現象を調べる事。 世に言われるような心霊スポット、自殺の名所、病院跡などを求めて毎年全国を旅している。そんな平和な事がオカルト部の目的。 そして今回は、身近も身近、現在使っている校舎の隣の旧校舎を探検しようという事で話がまとまった。 入学時に全校生徒に厳重に進入禁止が言い渡されるほどのこの場所に、何があるのかを調べるつもりだった。 「それで桃子、これからどうする?」 一階を大体調べ終えた後、おそらくは保健室であったであろう場所で私たちは小休憩を取っていた。 「基本的に上を目指すけど、同時にここの怪談も確認しておきたい」 ここの調査のために持ち込んだ、先輩たちから聞き取った旧校舎の怪奇現象、七不思議、といった各種の資料をチェックしながら返答する。 「んー、怪談っすか。……あん? なんだこれ」 と、つい先日入部したばかりの彼がテーブルの上に乗っていた人形に手を伸ばし―― 「駄目。やめなさい」 その手は人形に触れる直前で、私によって阻まれた。 「オカルト部の鉄則は?」 「……。……死者には最大限の礼儀を」 むすっとしながらも、一応は暗記していたのか答える。 「そう。どんなくだらないと思えるような怪奇でも、そこには何かがある。デマやガセかもしれない。でも、本当かもしれない。分からない以上、むやみやたらに触れない事」 「……へーい」 彼がしぶしぶ手をひっこめると同時、もう一人の一年生の女子生徒が怪奇現象のメモ片手に声を上げた。 「うわ、危なっ。その人形、人を食べちゃうらしいよ」 「はぁ? そんな事あるわけな……はい、すんませんした」 言いながら再び手を伸ばそうとした彼は、私と目が合うなり両手を宙でひらひらさせる。 「……。さぁ、休憩終了。行こう」 「……。待って。何か感じる」 校舎入り口近くの階段に戻り、そこから二階に上がる。 そしてその途端何かの気配を感じて、そっと片手で全員を制止した。 「何か……いる」 「え? そんなまっさかー」 「鉄則」 「へーい」 今度は私を先頭に、ゆっくりとその場所……女子トイレへと進む。 そこにいたのは。 『フンフフッフッフーン♪』 上機嫌で小型ゲーム機をいじる、半透明の幽霊。 『あれ、なんかいっぱいいるけど、そんなに個室無いよ、ここ。どう、我慢できそう? 切羽詰まってるようだったら私どくけど?』 「……」 何、これ。 その幽霊少女は小野坂史子と名乗った。 訳あってここにずっと居座っている、ある種の自縛霊。 基本的に成仏する気はないようだが、害のある存在では無さそうだった。 『それにしても誰かに会ったの久しぶり! っていうか、最近ここってどうなってるの? なんかしばらく生徒の声が聞こえないなーって思ってたんだけど』 「……廃校。私たちはここの隣の新校舎で授業を受けている生徒。この旧校舎はもう使われていない」 『廃校? そりゃまたどうして』 「……」 見ての通りゲームに集中しているようで、何も分かっていなかったらしい。 軽い頭痛を覚えながらも、5年前の殺人事件の一通りの説明をすると。 『あー、そりゃそうだよねー。私ってばここのトイレから出られないから分からなかったよ』 なっはっはっはー、としか形容できないようなノリで笑うと、再びゲームに戻る彼女。 何か時間を無駄にしたような気がしつつも、女子トイレを出る。 「あれって怪奇現象、って言えば怪奇現象っすよね? 本物の幽霊じゃないっすか? あれこそ調べて記録すれば――」 「分類すれば、そうなる。でも、部誌には記録しなくていい。責任は私が取る」 頭を数度揺らし、多少の疲れを振り払った。 「さて、ここからは別行動をしたいと思う」 「別行動?」 「そう。私は一人で三階を調べてくるから、あなた達は二階をお願い」 「桃子はどうして一人で?」 「ちょっとだけ個人的に調べたい事がある。大丈夫、すぐ終わる」 「でもよ、何があるか分からねーし、まとまって行動した方がよくねーか? 例えばさっきのトイレのアイツもなんか怪しいし」 と、同級生の男子生徒。 「あの彼女は大丈夫。私が断言する」 そう言って、私は三階に向かった。 向かってしまった。 『あれ? また戻ってきたの君たち』 ゲームをポチポチしながら、先ほどの幽霊。 「ところで幽霊さん? あー、トイレの花子さんだっけ?」 『……。小野坂つってんでしょうが。呪うよ? ……んで、どうかした?』 「五年前の事件について、思い出せる事を教えてもらいたいんすけど」 『んー、さっき話した以上は特に何も無いよ?』 「そこを何とか思い出してくださいよー」 『いや無理だって。私もずっとここでニートやってただけなんだし』 「どんな些細な事でもいいんすよー」 と、彼が一歩踏み出した足元には。 パリン。 『あ』 数年前のゲームソフトが。 『プレミアついてる……私の……『デュープ・リズム』……遠出して……やっと……見つけた……』 ……。 『出てけーー!! さもないと呪ってやるぅああああああああ!!!』 その声に追い立てられるようにして、女子トイレを後にした五人。 「あー、それで、どうする? 桃子はまだ戻ってこないみたいだし」 「まったく……アンタのせいだからね?」 「あー?」 「……。あ、じゃあよ、アイツが戻ってくるまで各自でこの階層を調べてみねーか? 他の階に行かなけりゃ絶対迷子にはならねーって」 三階の廊下を歩いていた私は、小さな違和感を感じていた。 先ほどから自身の霊感が危険だと告げてくる、どす黒い怨念。 それがこの階層にあるはずなのに、どうしてもその本体が見つからない。 「……」 個人的なこの調査には、あの子たちは巻き込みたくなかった。 ある程度霊感がある私はともかく、彼らに怨霊と対峙する事などできはしないのだから。 「それにしても、どうして見つからない……?」 「ったく、何もねーなー」 目に付いた机をひっくり返し、邪魔な散乱物を放り投げる。 「こっちもよ。ここの階は一通り調べ終えたわね。……あ、そこの戸棚も触らない方がいいみたいよ。人魂が住んでるんだって」 「人魂ぁ?」 「そ。とっても熱いんだって。これあげるから一通り見ときなさいよ」 「えー、お前が持ってりゃいいだろ」 「あたしは全部暗記したもの。アンタこそ必要でしょ」 学校の怪談を記録したメモを押し付け合っていると、廊下の方から声が聞こえてきた。 「おーい、全員集合ー。なんか怪しい場所見つけたぞー」 ガン! 「どうっすか? 開きますかね?」 「んー、かてーな。ちょっとやそっとじゃ無理だわ、これ」 二階を探索していたオカルト部員たちは、一つだけまだ調べていない教室がある事に気がついた。 東側階段手前の……特別教室。 「よっし、じゃあ全員でぶち破るぞ。お前ら手伝え」 おかしい。 先ほどから同じ疑問だけが、私の脳内を駆け巡る。 禍々しい怨念は、確実にこの地点から発生していた。 現在地、3年C組。 「なのに何故、本体が見つからない……?」 自分の霊感が指し示した場所に間違いは無い。 そう確信できるほど、私は自分の感覚を信用していた。 「何かを……見落としている……?」 ざわついた心を抑えるように、ゆっくりと周囲を見回した。 しかしそこにあるのは、相も変わらず規則正しく配置された机のみ。 「何か……何かが違う……」 「うわっ……っと」 「……ケホッ」 扉を破ると同時に舞い上がった埃(ほこり)に多少むせつつも、特別教室内に入ることに成功した。 廃校になってから倉庫として使われているのか、室内には椅子やら机やらが乱雑に積み上げられていた。 まず目についたのは、部屋中央に存在している大きな穴。 そして……その穴の上に浮かぶ、黒い影。 ハサミを持った、ただただ黒い女子生徒の霊。 「ん? なんだあれ――」 「……あ……」 その瞬間、何かを感じ取った。 まるで、現在地のどす黒い怨念が膨らんでいくかのような感覚。 私の周囲も、どんどん何かに包まれていく。 でも。 「違う……!」 その怨念の主が死んだのは、確かにこの場所。だからこの怨念が発生している。 でも、その直後に遺体の場所を移動させられたとしたら。 怨念の残滓よりも余程恐ろしい『本体』。 その『本体』が何らかの理由により呼び覚まされ、同時にこの教室に溜まっていた霊の残滓も活性化した。 そして自身の霊感が危険を告げている『本体』の位置は……二階。 「しまっ――」 あの子たちが、いる場所。 数回ほど転びかけながらも階段を駆け降りる。 そして二階にたどり着いた私の視界に入ったものは。 乱暴に壊された特別教室の扉と、その数歩手前に浮かぶハサミを持った黒い影。 「みんな、は……?」 周囲を見回しても、誰もいない。 辺りには、私と目の前の霊の姿だけ。 「どこかへ……連れ去られた……?」 つぶやくが、霊は否定も肯定もせずに手にしたハサミをこちらへ向け。 「……!」 とっさに身構えるが、相手はハサミを構えた姿勢のままうっすらと消えていく。 「……」 そして、辺りには静寂が戻った。 「助かっ……た……?」 でも、そんな事よりも。 「みんなは……どこに……!?」 耳を澄ませても、誰かの話し声さえ聞こえてこない。 「何か、何か手掛かりは――」 ごとっ。 ふと、背後の教室から何か物音が聞こえてきた。 「……」 迷わず踵(きびす)を返し、その教室――音楽室へと飛び込んだ。 教室前方、教卓前に『彼』は横たわっていた。 一年男子の、いつもへらへらと笑っているオカルト部員。 ただし、その頭部が無いままで。 「……――くん」 彼の名前を、自分の口の中だけでつぶやいた。 「……」 頭部がどこかへと分離した凄惨な彼の遺体を見ても、吐き気も何も感じなかった。 それはおそらく、オカルト部として常日頃からそんなものばかりを見ているせいもあったのだろうけれども。 「……」 無言のまま、彼の手に握られていた怪談メモを近くのグランドピアノの上に置く。 「後で……必ず迎えに来る、から」 それから私は学校中を回り、全員の位置を確認した。 覚悟はしていた。していたけれども。 「生存者は私、だけ……」 最後に訪れた、3年C組の教室。 私の親友の彼女もそこにいた。 右腕を失い、苦悶(くもん)の表情でボロ雑巾のように冷たい床に転がっていた。 「……」 学校中を走り回っても、先ほどの霊が私の目の前に現れる事は無かった。 あの霊を『怒らせた』時に行動を共にしていなかったせいで、同じグループに所属する人間だとは認識されなかったらしい。 おそらく、私がこのままこの校舎を脱出することは容易いのだろう。 この旧校舎はもとより封鎖されている。だから、ここで何があっても誰も気づかない。 何食わぬ顔をして日常に戻ってしまえばいい。 いなくなった五人の事は、もちろん大事件になるだろう。 でも、それさえいつかは風化する。 知らぬ存ぜぬを決め込んで、明日から楽しく笑えばいい。 私一人が黙ってさえいれば誰も分からない。 とっても簡単な事。 だから。 「……」 今から私がするべき事は。 「この事件の原因……あの霊の謎を解き明かす」 絶対に、みんなの死を無駄にはしない。 忘れさせない。 「これで……よし」 みんなの場所を記録した手帳を、手記としてここ2年B組に残す。 「もし私が死んでも、これで誰かが見つけてくれる。いつか、ここに来た誰かが」 自分自身に言い聞かせるように、ゆっくりと息を吐いた。 これでもう、悔いは無い。 「……」 私はあの場所……二階の特別教室の前へと戻ってきていた。 「大丈夫。私なら、いける」 再び自分に言い聞かせながら、特別教室の中へと入る。 そこには大量の机と椅子。そして中央に存在する大きな穴。 「……」 私は近くにあった椅子を手に取り、ためらわず穴の中へと投げ入れる。 そして。 暗い穴の底から、ゆっくりと黒い影が浮上してきた。 「ねぇ、そこの幽霊。邪魔者はまだ残っている。追ってくればいい」 言うなり、私は西側階段目がけて駆け出した。 背後に強烈な殺気を感じ取りながら。 事前に調べた情報によると、あの女子生徒の霊はとある殺人事件によって恋人と引き裂かれた事により生まれた怨霊。 長年静寂を保ってきたこの廃校内で、いつまでもいつまでも、その恋人の場所を探し続けている……と、先輩たちから聞いた。 だから、最初はそうするつもりでいた。 私はオカルト部員の子たちに内緒で、その恋人の場所を探し当てようとしていた。 しかし読みを間違い、このような事態になってしまった。 ならば。 「ねぇ、実は私はあなたの恋人の居場所を知っている。……信じても信じなくてもいい」 西側階段から三階に上がり、廊下を走りながら後ろを向く。 「信じないのは勝手だけど、ここで私を逃がすと手がかりは永遠に失われる。……さぁ、どうする?」 言い終わるか終わらないかのうちに、背後の殺気が急激に膨れ上がった。 これでいい。 後は……『あの場所』まで誘い込むだけ。 「……」 教室に飛び込んだ私は、心の中で小さく舌打ちした。 背後の追跡者に集中していたせいで、入るべき場所を間違えた。 この3年B組ではなく、隣の3年C組に誘い込むべきなのに。 引き返そうとして後ろ側の入り口を振り向くと。 ゆらり。 ハサミを手にした彼女が、もうそこまで追ってきていて。 次の瞬間には手にした得物を構え、私目がけて突進してきた。 「くっ……」 とっさに手持ちのカバンを投げつけ、相手の視界を塞ぐ。 視界、というものが相手にあるかどうかは分からなかったけれど。 「……」 カバンは一瞬のうちに相手に切り裂かれ、遠くへと転がっていった。 そしてそこから持ち歩いていたオカルト部の名簿が飛び出し、辺りに乱雑に転がる。 回収する余裕は、無い。 顔をしかめ、視線を名簿から相手へと戻した。 「……?」 と、いつの間にか霊の姿が消えている。 「どこに……?」 前方、背後、右方、左方。 気を張って警戒するが、その姿はどこにも見当たらない。 「消えた……?」 全く理由の分からないまま、一歩を踏み出し。 ふと見上げた教室の天井に。 ニタァ。 「ッ!」 自身の直感が、本能的な警告を告げてくる。 真上に張り付いて、嗤(わら)う黒い影。 しまっ―― ぐさり。 「……っく……」 とっさに床に転がった事が功を奏したのか、首筋を狙った撃は致命傷には至らなかった。 けれども。 「……ぐっ」 どこかの筋をやられたのか、左肩に激痛が走る。 そして私の背後には、今度こそ仕留めようとハサミを振り上げる幽霊の姿。 このままじゃ、殺される。 「うあっ……」 反射的にその場を飛び退(すさ)る事が出来たのは、もはや奇跡的と言っても差し支えなかっただろう。 「後、少し……!」 右手で傷口を抑えるようにしながら、3年B組を飛び出した。 3年C組。 「ここで、全部、終わらせる……!」 教室の中央に立ち、荒くなった息を整える。 先ほど仕込んだ『準備』は万全。だから、大丈夫。 私なら、やれる。 これから最後の仕上げをする。 カチカチカチ。 廊下からハサミの音が聞こえてきた。 そして教室後ろ側の入口に現れる、黒い幽霊の影。 「私を逃がすと彼の隠し場所は分からないまま。知りたくないの? 彼の居場所」 心を落ち着かせるように努め、相手にそう呼び掛ける。 「知りたいのなら、私に無理やり吐かせてみればいい」 「……!」 女子生徒の霊がハサミを構えて突進してきた瞬間、制服が翻(ひるがえ)るのも構わずに机を2、3個まとめて蹴り飛ばす。 相手は一瞬だけ怯(ひる)んだが、机自体はその身体をすり抜け、廊下側の壁にぶつかって止まった。 「やはり、物理的な力は効かない……か」 相手が怯むのも、単に人間だった頃の名残なのだろう。 実際に害が無いと分かっていても、決して止められない本能的な反射行動。 ならば、私はそれを最大限に利用させてもらうまで。 先ほどから何回も挑発したせいなのか、相手はハサミを構えて突進する事をただ繰り返していた。 こちらからの物理的な力の干渉は無効だが、相手主体の時は問題無いらしく、彼女が突進するたびに教室内の机の配置は乱雑になっていった。 そしてあらかた机がひっくり返され、破壊され尽くした頃。 「……っ!?」 相手だけを視界に入れていた私は腐り落ちた床に足を取られ、体勢を崩して。 カチカチカチ。 「しまっ――」 辺りに鮮血が飛び散った。 背中側から深く突き刺さる衝撃。 血で錆びついた刃物。 「がっ……!」 それが何度も何度も、私を刺し貫く。 わざと致命傷は外されているようで、即座に死に至るような事は無かったけれども。 そして何の前触れも無く、刺突は終わった。 「あっ……あぁ……」 倒れ伏した私の背後に立つ、女子生徒の霊の気配。 そして辺りに響く、怨念に満ちた声。 『ケンジノバショヲ、イエ』 ああ、そういう事か。 あの口から出まかせの言葉のおかげで、私は生きているのか。 「そう、だった。あなたの、恋人の、居場所の、話」 気力だけで顔を持ち上げ、這うようにしてその場を移動する。 「教えて、あげる。私の、負け、だから」 教室前方の数個の机を壁にするように、よろめきながらも回り込む。 背後にいる霊は何をするでもなく、私の様子をただじっと見つめていた。 おそらく、この傷ではもう逃げられないとでも踏んでいるのだろう。 「じゃあ、言うから、よく、聞いて」 これは、最後の賭け。 「ごめん、全部、嘘。私は、何も、知らない。自分で、勝手に、探して」 にっこりと、笑う。 その瞬間、背後の霊の憎悪が今までになく膨れ上がった。 彼女はハサミを構えると、ゆっくりと私へと向けて歩き出す。 数個の机だけが、今の私と彼女を隔てる壁。 逃げようにも、もう身体が動かない。 背中の傷口から血がどくどくと流れだす。 「もう……終わり、かな」 その影は同意するようにニィと笑い。壁となった机を迂回するように私へと迫ってくる。 「そう、これでおしまい」 瞬間。 女子生徒の霊が踏み出した床に、一筋の白い光が差し込んだ。 「やっと……入ってくれた」 息も絶え絶えに、そうつぶやいた。 黒板脇の窓際には、ボールペンが数本。 教室の後ろ側の窓際に、消しゴムが数個。 教室後ろ側の入り口には、鉛筆が転がっている。 教室前側の入口に置かれていた、クレヨン。 「手持ちの文房具で構築した簡易結界。これであなたを……封印する」 即席で作ったにしては上出来といえるレベルで機能してくれた事に、心底安堵して息を吐いた。 「残念ながら……私は『普通』じゃない」 魂を扱う……エクソシストの末端の家系の人間。 道具に頼らなければ何も出来ないほど、その力は微弱。 しかしそれでも、何とか霊に対抗できるだけの力は備えていた。 「ありがとう、これは、賭け、だった」 ゆっくりと身体が霧散していく黒い影に向かい、そう呼び掛けた。 「あの時、あなたに、机を、よじ登って、来られたら、終わり、だった」 霊となっている今では、机など問題無くすり抜けられるのだろう。 だが彼女は、壁のように置かれた机を迂回する事を選んだ。 それは彼女に残っていた、人間の頃の名残。人間の『常識』とでも言えるもの。 「……」 あの時机を蹴り飛ばして確認した事が正しかった事に、そっと息を吐いた。 「その結界は、即席だから、効果範囲が、とても、狭い。そう、ちょうど、あなたが、いる、その位置でしか、機能しない、程度の」 その間にも、彼女の身体はどんどん宙に吸い込まれていく。 そして辺りには静寂が戻った。 「これで、全部、終わった……」 再び静寂が訪れた教室内で、血混じりの言葉を吐きだす。 もう自分は長くは保たないのだろう。 このままここで……最期を迎える。 「……あっ……」 ふと身を起こして左の窓際を見ると、そこにはオカルト部員の内の一人の姿。 私の親友の彼女は、断末魔の苦悶の表情のまま目を見開いて死んでいた。 先ほど封印の邪魔にならないように移動させた時は気付かなかったけれど、実際に死が自分に近づいた今だからこそ分かる、彼女の痛み。 「……。……死にたく、ない」 先ほど霊に対峙した時の覚悟が嘘のように、心の底からそう思った。 身体が震え、どんどん冷たくなっていく中、強く願った。 「このまま……死ぬの?」 それだけは、いや。 だから。 「ねぇ、みんな、聞こえる?」 数個の机の壁に寄り掛かるようにして座った姿勢のまま、呼びかける。 校舎内各所で散っていった、部員の子たちの『魂』へと。 それもエクソシストとしての力。 「みんなで、ここから、脱出、したい」 口の中で鉄の味がする。体の奥の方から、ヒューヒューと音が聞こえる。 「でも、それは、私一人の力、だけじゃ、無理」 この味は何だろう。この音はどこから聞こえてくるのだろう。 「だから」 ああ、肺だ。肺に穴が開いているのか。 「力を貸して」 身体は捨てる。 私の身体は、もう取り返しのつかない傷を負った。 そして傷ついた肉体とは対照的に、魂は穢(けが)れ無き真っ白なまま。しかし、それが何だと言うのだろう。 通常、魂とは単体では存在することすらできない儚(はかな)い存在。 いくら中身が無事でも、器である肉体が崩壊したら生命の維持はできない。 それが『ヒト』という生き物。 だから。 「この魂を……今から汚(けが)す」 生きるために。 魂とは本来純粋なモノ。 各人で細やかな差はあれど、本来それは綺麗で純粋な色を持っている。「白」という色を。 でも「器」がもうじき壊れてしまう。そして「器」を失った魂も、それから間もなく砕け散る。 だから。 「みんなと私の魂を一つにする」 「そして、いつの日か必ずみんなを生き返らせる」 「絶対に」 そして。 「またみんなで、一緒に、笑おう」 篠田桃子は、そこで死んだ。 その頃、階下の女子トイレ内の幽霊少女は。 『♪〜。ゲッチュだぜ♪ ……。あ、バッテリーがヤバっ』 周囲の暗闇をものともせず、一人楽しくゲームを続けていた。 『サルサルサル〜♪ っと』 そして、ゲームハードやらソフトやらがうず高く積まれた山に手を伸ばしたところで。 『……。……あれ? なんか嫌な予感』 トイレ内の天井を見上げ、つぶやいた。 それは、ちょうど3Cで桃子が「絶命」した瞬間。 『……』 そして彼女は、山のように積まれたゲームの在庫からやっと予備のバッテリーを探し当てると。 『ま、いっか♪』 ――それから五年と数カ月が経過。 「あれ? こっちって確か近づいちゃダメって言われてなかったっけ? ほら、入学式の時に。ボクはちゃんと覚えてるけど」 「別にいいだろ。こっちの方が帰んのに近ぇんだよ」 「あらぁ、海斗くんは物知りなんですねぇ」 「……。楓、面白そうだからそのまま続けてくれ」 「あー、ところで今日この後はどうするんだ?」 「あ、それなら私にいい考えがあるんです。それはですね……」 旧校舎近くを通りかかった、とある新入生六人のグループ。 いた。 人数もちょうど私と部員の子たちと同じ。 逃がさない。 「あん? 誰だあんた」 彼らの目の前に現れた私に、赤髪の彼が不審そうに聞いてくる。 「どうかしたんですか? あの、先輩の方……ですよね?」 「……」 何も言わずに片手に黒い影をまとわりつかせ、それを彼らへと向けた。 「なっ――」 虚ろな目のまま立ちつくした彼らの頭に片手を当て、そこから記憶を読み取る。 広瀬京子……一之谷響也……水谷恵……三上楓……東海斗……森田俊。 幼なじみ。いじめ。助けた。仲良しグループ。恋愛感情。動物好き。弟。勉強。恋愛感情。 「うん……全部、覚えた」 頭を振り、大量の記憶を咀嚼(そしゃく)する。 そして。 「ねぇ、何ボーっとしてるの、京子」 黒い影を霧散させ、彼ら一人一人を揺り動かす。 「ん……」 そのうちの一人、京子とかいう女子生徒が頭に手を当てながら瞬きをした。 「……ええと、大丈夫です。ちょっと立ちくらみがしただけですよ、桃子ちゃん(……・・)」 「そう。ならいい」 「? どうした篠田。いつも(……)静かなお前がやけに嬉しそうじゃないか」 眼鏡をかけた男子生徒が、私の顔を不思議そうに見ている。 「いや、何でもない。……行こう、いつまでも立っていると日が暮れる」 ――そしてそれから一年と数カ月後。 私は再び戻ってきていた。 あの悪夢の旧校舎の入口へと。 ただし、今回私の周囲にいるのはオカルト部員の子たちではなく。 「時間、ですか?」 「そう。1日の内でここの扉が開く時間帯がある。それが……」 言いながら、校舎の扉を見るように京子に促した。 そして。 「……霊磁場を現実世界へと転送、並びに位相を反転」 ざわついているメンバーのせいで、その言葉は誰にも聞かれる事はなかった。 「うおっ!?」 現実世界の旧校舎と、霊磁場上の旧校舎を一時的に入れ替えた。 「……なんだこれは……」 これは私、いや私たち(・・)が霊力で作り上げた異空間。 「……ヒッ!?」 ここに入り込んだ者は、逃がさない。 「あらあらぁ」 絶対に、成功させる。 「4時44分。ちょうど今」 これは私たちの『夢』だから。 「……。さぁ、行こう。肝試し」